ことば5~6年(2018/4/26)

福西です。

この日は別のことを用意していたのですが、生徒からの要望で、俳句作りの一時間になりました。歳時記を片手に、「いい俳句とは?」ということに、興味がわいてきたようです。

着眼点なしに漫然と作るのは、いずれつまらなくなります。「俳句は奥が深い」ことを伝える今がチャンスだと私も思い、請われるままにポイントを説明しました。

1)「二つ」を置く

薫風やきれいに見えるお母さん 武藤隆浩(小6)

Sちゃんがこの句に興味をもって、「たしかにそうやな」と言っていました。薫風が夏の季語、お母さんが季語ではないものです。このように、別々の「二つ」を並べると、いい句ができやすいです。三つは窮屈です。二つの一方に「季語」、もう一方に「季語でないもの」を置きます。

2)「反対」を探す

そして、この二つのものには、近くと遠く、大きいと小さい、暗いと明るい、固いと柔らかいなど、反対のものを持ってくると、いい句ができやすいです。

厚餡割ればシクと音して雲の峰 中村草田男

厚餡(目の前の食べ物)と雲の峰(遠景)の取り合わせです。

SちゃんとT君の合作で、「きれいなものと濁ったもの」ということで、次の句を作りました。

春の川ぞい車のエンジンにおいけり Sizuku&Tomoya

上五は春の川ぞいと一気に読みます。私は、春と車の相性がいいなと思いました。

3)「発見」を詠む

また裏返してみたり、普段見えないものの発見を詠むのもいいです。

昼見れば首筋赤き蛍かな 芭蕉

これはその典型と言えるでしょう。

4)「瞬間」をとらえる

それから、時間を詠まない方が、俳句はよくなります。イメージ的には、動画ではなくて写真です。反対に、動画は和歌がふさわしいです。「~が~して~になった」は動画的です。一方、「~がある(した)/~がある」は写真的です。

翅わつててんたう虫の飛びいづる 高野素十

これは、あの丸いテントウムシの背中がぱかっとなった瞬間をとらえた句です。

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

T君が「古池に蛙が飛びこんで、水の音がした。という動画じゃないの?」と質問しました。たしかにそう思えるでしょう。

実はこの俳句、「蛙の飛びこむ水の音がした。ああ、どこかに古池があるんだな」という気付きの『瞬間』が詠まれています。なんでそう詠めるかというと、『や』で切れてるからです。

切れ字は「切る」のが仕事で、「や」は二つのできごとを独立して並べます。「古池がある」と「蛙飛びこむ水の音」は、ほとんど同時の出来事です。目ではなくて、耳でとらえているのです。

そのような説明で、「そうか、『逆』やったんか!」と納得してもらえました。

そして、

5)「切れ字」を使う

「や」「けり」「かな」などです。別々のもの二つ並べる時は「や」。言い切りたいときは「けり」。読者の想像に任せるときは「かな」。最初はこの三つをおさえれば、十分でしょう。

切れ字を使うと、俳句ならではの余韻が生まれます。余韻は「何度も詠みたい」という気持ちを起させます。

ほかにも言い足りないことはいっぱいありますが、でもまずは上の五つの着眼点を持ったら、その日からでも、いい俳句を作れるでしょう。あとはたくさん作ることです。

 

さて俳句は、たくさん作ることに加えて、先達にそれを選んでもらうこと(これを「採ってもらう」といいます)で上達します。また、採るときには、なかなか採ってもらえない「厳しい」方が、結局は早く上達します。

今までは、どれも「いいよ」としてきたのですが、それについて、クラスでは上達したいというコンセンサスが取れました。それなので思い切って、「普通」「良い」「こうしたらもっとよくなる」と、句評を添えました。生徒たちは「なかなか採ってくれへんなあ。でもなるほど。よし次!」と言って、作句してくれました。

今回私が採ったのは、次の句でした。

夏の空とまぜた絵の具を比べけり Tomoya ◎

フラココと飛行機雲と比べけり Sizuku 〇

地の土竜上へと行けば風薫る Sizuku 〇

葉の葉脈葉ごと食べるや桜餅 Sizuku 〇

その他にがんばって作ってくれた句は、次の通りです。

負けずもうしょうじの穴を広げけり Sizuku

フラココやふりこの泳ぐあと一歩 Sizuku  (残念!類句)

風薫る所に行けば朝ご飯 Tomoya

春眠し顔を上げればおこり顔 Tomoya

校長の話を聞けば眠くなる Tomoya

春の川ぞい車のエンジンにおいけり Sizuku&Tomoya

慣れてくると、こんどは「季重なり」の問題が出てきます。歳時記を見ながら、季語じゃない言葉を探す方が難しくなってきます。二人はその段階まで来ました。

一茶の「猫の子のちょいとおさへる木の葉かな」は、木の葉(落ち葉)が冬の季語で、冬の俳句なのですが、じつは猫の子もまた、春の季語です。生徒たちは、季重なりで悩んだだけに、思わず「一茶はずるいな!」と言っていたことが、面白かったです。

 

それから、Sちゃんは以前作った俳句を、「あれはどう?」と聞くので、私は正直に「じつは、一字だけ惜しいところがある」と言いました。

(前)ふらここと風と競走五時五分

するとSちゃんは「『と』を『や』にしたらいい」と、ずばり当ててくれました。

(後)ふらここや風と競走五時五分

一字かえるだけで、もともといい俳句が、もっといい俳句に生まれ変わりました。切れ字「や」を入れると、一番高く上がった状態のふらここ(ブランコ)と、夕方の風の情景がよりくっきりしました。

瞬間は永遠。俳句はその表現を得意とします。