『西洋古典を読む』クラス便り(2017年2月)

山びこ通信」2017年度冬学期号より下記の記事を転載致します。

『西洋古典を読む』

担当 福西 亮馬

 生徒のAさんが夏休みに読んだ、『知ろうとすること。』(早野龍五、糸井重里、新潮文庫)という本を私も読みました。「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」(上掲書p171)という考え方をベースに、福島の原発事故で著者の実践したことが示されており、私にも大変勉強になりました。

ところで、「真実」という言葉は、ギリシャ語ではアレーテイア(ἀλήθεια, aletheia)と書きます。『ギリシア神話を学ぶ人のために』(高橋宏幸、世界思想社)に、『真実の本義は「忘れてはならないこと」である』(p172)とあります。さらにWikipediaによると、アレーテイアの中に隠れるレーテー(Λήθη, Lethe)は、ギリシャ神話に登場する「忘却の川」のことで、そこに否定辞のア(α-)と、接尾辞のイア(-ια)(抽象名詞化)とが組み合わさり、「非忘却のこと」という意味になるようです。昔から「これだけは忘れずに」という思いで伝えられ、今もそうだと認められる事柄には、より多くの真実味がある、というわけです。たとえば「人はいつか死ぬ」がそうです。

このクラスでは、セネカ『人生の短さについて』の英訳を少しずつ、和訳と原文を横に置きながら読んでいます。この稿を書いている時点で18章まで終えました。全20章、もうすぐ読了です。これまでそこから得た言葉をヒントにしながら、Aさんとは「長く生きるとは?」について考えてきました。私自身、読む前と読む後との変化がありました。それを端的に表すならば、9章1節の「ただちに生きよ」(protinus vive)という言葉が深く感じられたことです。

ただちに生き「ない」例として、17章5節にこうあります。

われわれは公職立候補の苦労を思い留まったことがあろうか。思い留まったとしても、お次ぎは他人の立候補の応援を始める。われわれは人を告訴する骨折りを捨てたことがあるか。捨てたとしても、今度は裁判する骨折りを手に入れる。裁判官を止めた者があるか。止めたとしても、次には予審判事になる。他人の財産の管理に雇われて老い込んでしまった者があるではないか。今度は自分の資産に悩まされる。
(訳は『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)より)

このような生き方を鳥瞰して、セネカは同じ17章5節で「哀れの終焉を求めるのではなく、哀れの内容を変えるだけだ」(Miseriarum non finis quaeritur, sed materia mutatur)と言います。何ら新しい展望が付け足されない「たらいまわしの生き方」には、映画『生きる』(黒澤明監督、志村喬主演)ではありませんが、「自分はいったい何をしてきたのだろう?」と、「生きているふり」の多さを反省せざるをえない時がくるでしょう。多忙だけに意味を求める時間は、ただその表面を容赦なく流れ去るでしょう。「現在」において垂直に掘り抜くことが求められます。それが「ただちに生きよ」(protinus vive)であり、私なりに、「青春(熱意)を忘れずに」と表現したいと思います。AさんはAさんで、きっとまた、別の表現をお持ちでしょう。それを十年、二十年経ってから、「あの時はこう考えていた」と、照合することができれば、楽しみがより広がると思います。

また、テキストを読みながら、Aさんの学校での出来事を伺うことがあります。それが私にとって大変刺激になります。その一つに、Aさんは高校一年生のころに、模擬国連会議の高校生会議に参加し、次のような疑問を持ったそうです。「会議の仕組みについていくことに精一杯で、それを活かしきれなかったのではないか」と。では、どうすればいいかと、Aさんは考え、実行します。「自分たちの学校でも、模擬国連会議を作ろう。そうすれば、先の会議でも、より生きた経験を得られるはず」と。そうして有志を募って立ち上げ、運営し、三年目に入るそうです。「規模はまだ十名程度ですが」と、Aさんははにかんで答えます。けれども、その方向性が今までにあったか、なかったかが重要です。たとえば、ホワイトボードの上で縦横の組み合わせで作れる矢印を議論していたところから、マーカーをホワイトボードに突き立て、そのマーカー自体を第三の矢印に加えること、それが「忘れてはならないこと」であるか、どうかです。もしその答がイエスであるならば、その取り組みは、真実の多い時間となるでしょう。

私は、Aさんが現状に対する疑問を包み隠さず、もっとよくするにはどうすればよいかと考えたこと、その熱意こそAさんの実体であり、「知ろうとすること」の実践だと思います。Aさんが、学校や社会という場でやろうとしていることは、人からも喜ばれることだと思い、賛同します。実績を作ったことも、素晴らしいと思います。その履歴を見て、心を動かされる人が次第に増えていくからです。だから、Aさんを含める仲間たちは、これからもますます熱量を増していくでしょう。それが、よりよい方向を忘れていなければ。

虚偽よりも、真実の多い時間。ふりよりも、青春そのものの人生。忘れることの少ないそれを、セネカは「長い」と言うのでしょう。