「山びこ通信」2017年度冬学期号より下記の記事を転載致します。
山の学校ゼミ『調査研究』、山の学校ゼミ『倫理』、『ことば』1~2年
担当 浅野 直樹
ことば1〜2年クラスでは、お題に対する答えを書いて、同じ(違う)答えを書いた人が勝ちというゲームを楽しみました。同じ答えを書いた人が勝ちというルールよりも、違う答えを書いた人が勝ちというルールのほうが盛り上がりました。そちらのルールでは、お題には沿いつつも他の人が思いつかないような答えを考えるところに頭を使います。思いつかなかったけれども言われてみれば確かにそうだという答えに何度も感心させられました。
このゲームから多少強引に山の学校ゼミ(調査研究)クラスのテーマにつなげますと、同じ答えを書くというのが近代的な一元モデルで、違う答えを書くというのがポストモダン的な多元モデルです。一つの絶対的な真理を想定することが難しくなったポストモダンの状況下でどのような小説があり得るのかということを西尾維新さんに着目しながら追究しています。
こうした問題意識は山の学校ゼミ(倫理)クラスで取り上げた柄谷行人さんの問題意識とも共通しています。柄谷行人『日本近代文学の起源』によると、近代小説に見られる「風景」や「内面」は、絵画における遠近法と同じく、特定の時代に結びついた一つのルールに過ぎません。そうだとするなら、近代小説とは別の形のポストモダン小説があってもよいはずです。
いくつかのクラスのことを強引にまとめようとしたために話が飛躍してややこしくなってしまいましたが、ことばを用いて多面的に考え、それを他の人に伝えるという点にこれらクラスの共通項を見出しました。