『漢文入門』クラス紹介
担当 陳 佑真(京都大学文学研究科博士後期課程)
大学院で漢文を研究していて地元に帰り、高校までの友人と飲みにいくと、百発百中で以下の反応が返ってきます。「何がおもろうてやっとうねん(=漢文はどこが面白いのか)」「お前そんなわけわからんことやっとってどないして飯食うてくねん(=陳個人にとってどんな利益をもたらすのか)」残念ながら二番目の問題は今後の課題とさせていただかざるを得ないのですが、第一の問題については私が大学の中国哲学史という研究室に入ってから八年間考えてきた、現時点でのお答えを用意しております。
私は目の前に現れた漢文を読解する、著者が何を考えていたのかわかる、という過程そのものが楽しいことだと感じています。国語の教科書の漢文には最初から句読点や返り点、送り仮名が打たれていたかと思いますが、ほとんどの場合、漢文は本来点が打たれておらず、読者が赤ペンを持って、ここで切れるのかな、こうやって返るのかな、と悩まなくてはなりません。問題を与えられて、自由にああでもない、こうでもない、と思索しながら、作者と知恵比べをするのです。
たとえばお酒が大好きな陳君が禅寺へ観光へ行き、門に「不許葷酒入山門」と書かれた板が掛かっているのを見たとします。これは漢文の白文(句読点や返り点が打たれる前のもの)で、これに句読点を打って書いた人の考えを読み解かなくてはなりません。お寺に詳しい友達が「ははあ、これは葷酒山門に入るを許さず、つまり、生臭物や酒を持って門をくぐることは許さんぞ、という意味だよ、飲むのはあきらめたまえ」と言いました。しかし、陳君はどうしても境内で飲みたい。どうすれば飲めるのか。答えは簡単、赤ペンで一つ点を打ってしまえばいいのです。「不許葷、酒入山門」とすれば、「葷を許さず、酒は山門に入れ」と読むことができます。生臭物はやはり許されないので唐揚げをおつまみに、とはいきませんが……。
また、漢文というのは一つの言語ですから、それで表されるのは決して堅苦しい、難しいお話ばかりではありません。「君子は必ず其の独を慎むなり」(『大学』)、立派な人は誰も見ていないところでも人に見られているのと同じように威儀を正しているものだぞ、という、先生から言われたらうんざりしそうな言葉も漢文ですし、「螢無くして鄰家の壁を鑿ち遍(つ)くすも、甚(なん)ぞ東墻は人の窺うを許さざる」(『牡丹亭還魂記』)、螢の光で苦学しようとしても螢が見つからないから隣のかわいい子の部屋の壁に穴をあけて灯りをとろうとしたけど覗かせてくれないよ、なんていうのも漢文なのです。
古の賢者たちが人生の問題に正面から向き合って書いた文章を読解して自分の生き方に活かすもよし、おもしろおかしい滑稽話を読んで古の人たちと一緒になって大笑いするもよし、ゴシップ記事を読んで古の人たちと一緒に眉をひそめるもよし。漢文の海からは、書かれたものの数だけの楽しみと思索が得られます。
本講座では、受講者の皆様のご関心に合わせてテキストや方法を選びたいと思います。訓読のやり方、辞書の使い方から丁寧に学習のお手伝いを致しますので、全く漢文の勉強をしたことがない方も是非お越しくださればと願っております。
(「不許葷酒入山門」については、私が大学の講義で伺ったお話を元にしました)
以上、「山びこ通信」2017年度冬学期号より転載