浅野です。
1章10節の終わりあたりまで進みました。
近代、とりわけその初期には、私的利益を追求することだけが共通になっているという明らかな矛盾があったという指摘などはおもしろいです。私的な事柄が公的なものになるという矛盾です。アダム・スミスやマルクスはこの矛盾を解決しようとしたと言えるかもしれません。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
1章10節の終わりあたりまで進みました。
近代、とりわけその初期には、私的利益を追求することだけが共通になっているという明らかな矛盾があったという指摘などはおもしろいです。私的な事柄が公的なものになるという矛盾です。アダム・スミスやマルクスはこの矛盾を解決しようとしたと言えるかもしれません。