岸本です。
今日は、第二次世界大戦の後半とその後の戦後処理を議論していきました。
ヨーロッパ中心に行われていた戦争は、独ソ戦とたアジア・太平洋戦争の勃発で、まさしく世界大戦となりました。
ソ連は、甚大な被害を出しながらもドイツとの戦争を継続させ、連合国勝利の要因を作り、戦後の主導権の一角を担うことになります。
日本の植民地であった朝鮮と、侵出した東南アジアでは、資源の収奪と同化政策が進められます。
生徒さんとは、今でも国際問題になっている強制連行の問題について、より建設的な解決法について話し合いが進みました。
現在でも世界各地で行われている紛争にも共通するルール作りを世界全体で考えるべきという趣旨の議論になったのは、面白かったように思います。
1942年以降、連合国は反撃に出ながら、戦後の国際秩序について英米中ソの首脳たちが何度も会談を行いました。
生徒さんと議論になったのは、ヤルタ会談で行われたという、ソ連の対日参戦の決定についてです。
ソ連は確かに、ドイツに不可侵条約を破られているのですが、されたからといってやり返すというのは、戦争を早く終わらせるためとはいえ、納得のいかないものもあります。
生徒さんからは、国際的な約束事を守らせる強制力がないという旨の指摘もありました。
今の国連にもそのような力がないことも、その点では共通しているでしょう。
さて、第二次世界大戦はアメリカの参戦もあって、イタリア、ドイツ、日本が次々と降伏して、集結しました。
その際つかわれた核兵器については、現代日本の原発問題も含め、いまでも世界を悩めませる問題となっています。
戦後の経緯については、国際連合とブレトン=ウッズ体制の成立について概観した後、欧州各国の様子を見ました。
来週は、東欧やアジアでの米ソ対立の顕在化を解説していこうと思います。