「山びこ通信」2017年度秋学期号より下記の記事を転載致します。
『新約ギリシャ語初級』
担当 堀川 宏
このクラスでは『マタイによる福音書』を、Nestle-Aland版で毎回1ページほどのペースで読んでいます。現在読んでいるのは第13章、有名な「毒麦の譬え」の辺り。「毒麦」は麦に混じって生える雑草で、穂を出さないうちは麦と区別がつきにくいのですが、穂を出せば容易に区別されるようです。イエスはこれを「悪魔の息子たち」であると説明し、刈入れの時(最後の審判の時)にはまとめて焼却されると言います。だから麦(イエスの導きに従う者たち)は、毒麦のことなど気にせずに自分の仕事に精を出さなくてはならない——そのように語っているように読めます。
一般的に言って、譬えによる語りには(往々にして過度の)単純化の危険がつきまといます。何となくのイメージとして理解したつもりになり、細部まで思考が行き届かないことは、私たちが日常生活で触れる(あまり練られていない)譬えにはよくあるように思います。その一方で、譬えの持つインパクトは上手に使えば大きなメリットも生みます。このような性質をおそらく理解した上で、『聖書』の語りは同一の事柄を異なる譬えを使って繰り返し説いてゆきます。それぞれの魅力ある譬えの奥にある思想を窺いつつ、その成果を総合して自分なりの理解を形づくってゆくこともまた、『聖書』の面白い読み方であるように思います。
教える立場にある私自身、毎回新しい発見があり、とても楽しい時間を過ごしています。じっくりとテクストに向きあう贅沢な時間を味わいつつ、もう少し先まで読み進めてゆければと思っています。