「山びこ通信」2017年度秋学期号より下記の記事を転載致します。
『ロシア語講読』
担当 山下 大吾
このクラスでは引き続きプーシキンの短編集『ベールキン物語』を読み続けております。受講生は変わらずTさん、Nさんのお二方です。現在は前号でお伝えした「吹雪」を読了し、次編の「葬儀屋」を読み進めております。
両編ともチェーホフを含め今まで取り組んできた作品と異なり、対話あるいは会話の部で発話者ごとに改行されず、さらに長大な段落の続く例が多く見られます。そのためページ全体がびっしりと文字で埋まってしまい、その上そのようなページが連続する体裁で、ドストエフスキイを読むとしばしば接するようなスタイルになっています。あくまで見かけ上の話ですので重要な問題ではないのかもしれませんが、それでも余白の多いテクストに接すると何かしら心理的な圧迫感が減り余裕が生まれるのもまた事実、ロシア語だけに限らず日々の読書でも同様でしょう。ところで当の「吹雪」の原題Метельは「ミチィエーリ」といった風に発音されます。テクストの体裁といい内容といい「みっちり」した作品ですねとはお二方のご感想、笑みのこぼれるひと時となりました。
そのようなユーモアが自然と生れ出た原因の一つとして、主人公シルヴィオの醸し出す雰囲気や性格はもちろん、基本的に復讐劇というシリアスな内容の前回の講読作品「その一発」とは一風変わった、「吹雪」や「葬儀屋」の中で描き出される、一面からりとした内容のそれぞれの作品世界が挙げられるでしょう。偶然の事態の積み重ねによって思いもよらぬハッピーエンドがもたらされる「吹雪」、酔った挙句の一言で散々なひどい目に会うものの、結局それは夢の中の出来事で最後には丸く収まる「葬儀屋」といった具合です。
後者の主人公プロホロフの職業やその性格に接して、以前読んだチェーホフの『ロスチャイルドのバイオリン』の主人公ブロンザやその話の筋が、我々三人それぞれの脳裏に自然と思い浮かび、再び破顔一笑となりました。阿吽の呼吸で同じテクストを読み進めていく貴重な時間が流れています。