岸本です。
第一次世界大戦後の欧米諸国の様子を、先週は議論していきました。
今週は、大戦後のアジア各国の様子を見ていきます。
日本は、大戦の最中に中国侵出をもくろみましたが、戦後の国際協調主義の前に、そのもくろみは失敗に終わりました。
その中国では、ソ連の影響を受けて結成された共産党と、孫文が主導する国民党が協力して、中国の統一を目指します。
孫文の死後、それが北伐として実現しますが、彼の後を受けた国民党の蒋介石は、浙江財閥とのつながりから、共産党と敵対する方向に向かいます。
日本の妨害や内紛を抱えながら、国民党が樹立した国民政府は何とか北伐をやりとげましたが、共産党の対立は、その後の中国の歴史の不安定材料となったのです。
生徒さんからは、帝国主義に反対する民衆運動はあったのに、共産主義に反対する民衆運動は起きなかったのかという疑問が呈されました。
確かに、蒋介石のクーデタを除いて、教科書的にはそのような運動は知られていません。
世界を見ても、この時期には左派政党が政権を握ることがあり、またソ連という社会主義国が建国されています。
議論を進めていく中で、この時期の人々が捉える「共産主義」のイメージが現在と異なり、その運動が特に一般民衆にとって現状を改善してくれる運動とみなされたのではないかという考えが出ました。
時代によって、同じ名前が付されたもののイメージが異なることは、当然と言えばそうですが、なかなか気づかないものです。
その点で、生徒さんの指摘は面白いものでした
一方、列強の植民地となっていたインドや東南アジアでは、自治を求める運動が活性化していきます。
特にインドでは、ガンディーやネルーといった指導者の下で独特の運動が繰り広げられました。
イギリスの対応と合わせてみることで、帝国主義的支配の特徴がよく看取できる事例だと思います。
また、インド内のムスリムの動向も、独立後の動きを把握する上で重要です。
最後に、トルコの成立を見ていきました。
敗戦後のオスマン帝国では、弱体な政府を批判したムスタファ=ケマルが指導力を発揮してトルコ革命を進め、トルコ共和国の建国とその近代化を成功させました。
特に、スルタンやカリフの廃止や、アラビア文字からローマ字への移行は、生徒さんにとってはかなり強烈な印象を与えたようです。
この近代化に対して、伝統的なムスリムからの反対はなかったのかという疑問を生徒さんはぶつけてくれました。
確かに、反対はあったのですが、ケマルの指導力の下で、「トルコ人」が形成されていったことを議論しました。
同じムスリムでありながら、ナショナリズムの影響を受けて、アラブ人と異なる国となることを目指したのです。
アジアや欧米の国々に対しては国民性による認識(その適否はさておくとして)を持ちながら、ムスリムに対しては国民性よりも宗教によって区分する現代日本の捉え方に対して、生徒さんの指摘は、ムスリムの別の捉え方に結び付くという点で、実りのある議論だったと思います。
来週は、そのアラブ人の国の様子やアフリカの様子を簡単に確認してから、世界恐慌の話に移れたらと思います。