岸本です。
前回は第一次世界大戦まで議論しましたので、今日はその大戦中に起こったロシア革命と、大戦後のヴェルサイユ体制へと話を進めました。
ロシア革命は二つの段階を経て進行しました。
その経緯と影響を解説していくなかで、生徒さんは、レーニンが行った「平和に関する布告」の中に、米大統領ウィルソンの「十四カ条の原則」と同様に民族自決の原則が見られたことが気になったようです。
時系列的には「平和に関する布告」が先であることから、「十四カ条の原則」が共産主義に対抗するものという性格も指摘できるという議論が交わされました。
しかし、両者が掲げた民族自決の原則は、アジアやアフリカの植民地は列強の支配下に置かれたままでした。
その原則が唯一適用されたヨーロッパでは、敗戦国の領土が縮小され、新たな国家が多く誕生しました。
生徒さんは、ポーランドが復活したことに気付いてくれました。
また、民族自決といってもどのように国境を決めたのか、民族をどのように判断したのかという点に興味を持ってくれたようです。
その答えは、いわゆる「中欧」で民族問題が深刻だった原因の一つともなるでしょう。
歴史をしっかり見ていくことによって、現代の問題にも正しく向き合うことが出来るのです。
来週は、第一次世界大戦後の欧州各国の状況を見ていければと思います。