「山びこ通信」2017年度春学期号より下記の記事を転載致します。
小学生『れきし』
担当 吉川 弘晃
「れきし」クラスには新年度から新しい生徒さんが加わり、一段と賑やかになりました。自然の環境や動態から究極的に自由になることはできないものの、やはり歴史を作っていくのは、知や感情といった人間のエネルギーです。今この瞬間にも歴史に参加しているのだ、という当事者の意識をもって数百年前の私たちに思いを馳せてほしいと思います。
昨年は1年かけて、戦国・安土桃山時代に関する入門書を読みましたが、今年度は、江戸時代について学んでいきます。授業形式は変わらず、生徒さんそれぞれに本を音読してもらい、その箇所について講師が解説を加えた上で、双方で議論を行うというものです。今年度の授業で扱うのは、深谷克己『江戸時代』(岩波ジュニア新書、2000年)です。
学期前半では、17世紀前半、つまり豊臣政権の崩壊から江戸幕府の成立、幕藩体制の確立までを扱いました。この時期は、日本の政治や社会、文化上のシステムが変化を迎えます。簡単に言えば、中世以来進んできた武士の権力拡大が絶頂期を迎えたということです。中世社会では法律や制度などの面で、貴族(公家)・寺社・武士の三者がそれぞれの領域を形成していましたが、江戸幕府では武士がその他の二者を統制するようになっていきます。勿論、これで貴族や寺社の役割がなくなったわけではありません。興味がある方は、この点について調べた上で、授業で報告してみてください。
では、日本国外に目を向けてみましょう。17世紀前半の動乱は世界全体にとっても深刻でした。中国では明から清へと王朝交代が東アジアの社会全体に混乱を及ぼし、ヨーロッパでは長い間続くキリスト教内部の対立による凄惨な戦争が続いていました。ここで重要なのはヨーロッパとアジア、アフリカといった地域間が繋がりを深めていったという点です。15世紀には明がアフリカに大船団を、16世紀にはスペインやポルトガル、そしてオランダ(ネーデルラント)がアフリカ、インドを経由して東アジアに貿易船を派遣します。日本の戦国大名も積極的にヨーロッパ人との貿易を行い、17世紀には東南アジアに日本人町が形成されていきます。
こうして完成した東アジアの海のネットワークとどう付き合うか。これが江戸幕府にとっての課題でした。「コミュニケーション」というのは、聞こえは良いですが、通商や文化交流といった富をもたらす一方で、奴隷貿易や宗教対立、病原菌といった負の要素を持ち込むことも忘れてはいけません。成立当初の江戸幕府が出した答えが「鎖国」(場所や方法を幕府が厳しく制限した上で国同士のやり取りを行うこと)でした。授業では「鎖国」によってキリシタンを弾圧した江戸幕府を非難も擁護もしません。鎖国を実施する側はなぜそうすることを選んだのか。そして鎖国を人々はどう受け入れていったのか。そうした問題を一つひとつ、様々な立場から自分の頭で考えていければと思います。