「山びこ通信」2017年度春学期号より下記の記事を転載致します。
『西洋の児童文学を読む』(新クラス)
担当 福西 亮馬
ティウリは目を開けた。礼拝堂ははるか遠く、祭壇の前で祈りの夜を過ごしていたのは遠い昔のことのように思われた。
──『王への手紙(上・下)』(トンケ・ドラフト、西村由美訳、岩波少年文庫)1.6
先週読んだこのシーンが、今この稿を書いている私の心境です。春学期からスタートしましたが、「ここはどこだろう? いつの間にこんなところへやって来たのだろう……」という気がします。というのも、生徒たちが自発的にクラスを運営してくれており、むしろ私がそこへふらりと足を踏み入れた心地を覚えるからです。
本の好きな生徒たちが三人集まってくれています。本当に本が大好きな生徒たちです。面白いテキストと、読書家の生徒たち。それがこのクラスのすべてです。
西洋の児童書のトップバッターは、『王への手紙(上・下)』(トンケ・ドラフト、西村由美訳、岩波少年文庫)です。だいたい6ページずつのペースで丹念に読んでいます。この稿を書いている時点で、第1章『指令』の6まで進みました。もうすぐ第2章『森をぬけて』が始まります。内容の面白さは折り紙付きです。クラスでも生徒たちが興奮した面持ちで異口同音に「面白い!」と話し、「もうここまで読んだ!」と報告し合っています。作品の面白さを、私も改めて「そうなんだ」と確認できました。それまで私一人で感じていたことが、より普遍的であることに勇気づけられました。
「ここに手紙がある。ひじょうに重要な手紙だ。王国全体の安寧がこの手紙にかかっている。ウナーヴェン国王への手紙だ。」──上掲1.2
騎士見習いティウリは、騎士叙任式の前夜に見知らぬ老人から手紙を託されます。そして「自分がぐんと歳をとり、考え深くなったような気がした」(1.6)とあるように、一人の騎士の死を看取ったことが、彼にいよいよその手紙の持つ任務の重さを自覚させます。物語の中で、ティウリはこれまで何度も振り返り、手紙が胸にあることを確かめ、そして再び胸にしまいます。そして自分の足で、考えて動き出します。ティウリの葛藤は、物語の舞台となる国全体の大きさからすれば、とても小さく映るかもしれません。けれども自分で自分を励まし、行動する彼の姿は、まぎれもなく一つの勇姿です。生徒たちも、ティウリが困難に足を踏み入れるたびに、居ても立っても居られなくなる様子です。すでにこの一つの物語は「彼らの物語」となっています。
授業では、まず音読をしたあと、生徒たちにそれぞれの発見を報告してもらいます。調べた語彙、共感した個所、大事だと思った箇所、なぜそうだと思ったのかの理由など。また似た表現(作品を構造的に理解する手がかり)にはページの相互参照をつけることもしています。予習では、読書ノートを作っています。語彙の辞書引き、テキストからの引用、感想などで1週ずつ新しい内容を埋めていきます。
最近では、発表当番も作りました。当番はその回に特に責任を持ち、より詳しく調べてきます。要約を作り、語彙や内容に関する資料を揃えてきたりして、それをクラスで配布します。その発表の際には講師がフォローします。また当番でない人たちも、自分が次に同じことをする立場であることを念頭に、これまで通り活発に意見を出し合います。
生徒たちは全員五年生ですが、自分の人生についてそろそろ考え始めているのだと思います。その彼らにとって、ティウリは「もしもの姿」を映し出す第二の自己、よき心の友となっていくことでしょう。また生徒同士の間にもそのような関係が見られます。自分の意見をしっかりと持ち、「だからこそ」互いの意見を尊重できる生徒たちの精神的な姿に、私は目を瞠ります。そしてしばしば垣間見る彼らの友情に心をほだされます。とても居心地のよいクラスです。
『王への手紙』の上巻は、ティウリがダホナウト王国から大山脈を越えるまで、そして下巻はいよいよウナーヴェン王国へ渡ります。上巻が終わるのはまだまだ先のことですが、大山脈でピアックというティウリの友になる人物が登場します。そのことを生徒たちは読んで(あるいは読み終えて)すでに知っています。クラスがピアックの登場を心待ちにしています。そのように思ったこともまた、いつか「遠い昔」のように感じる日が来るのでしょうか。そうなると良いなと私は思います。