福西です。
季語を集めたプリントで、春に特化した歳時記を作りました。
ハナミズキは漢字て書くと「花水木」です。それを歳時記の中にT君が発見し、「これやったら、1年生でも書けるなあ」と言っていました。
この日、春一番が吹いていました。園庭からの風景で作った生徒の俳句です。
みな帰りもうすぐ日ぐれ春霞 Tomoya
菜の花や蜂の中では人気者 Tomoya
雪とけて花さきはじめ山笑う Tomoya
またちこくいつまでねても春眠し Tomoya
春なのにつめたい風が子を帰す Sizuku
花びらやそよ風ふけば5時6分 Sizuku
ねこの子もつめたい風にはふるえるよ Sizuku
風さんがフラココゆらせば子どもかな Sizuku
ファルコン号つめたい風がふいてくる Sizuku
葉の中にむらさき一つキラキラと Sizuku
去年に比べて、季語や切れ字について意識的になっています。その分、格調が高くなっているように思います。
どの句も私には情景が浮かんで来て好きなのですが、とりわけ次の句の呼応関係が胸に迫りました。
みな帰りもうすぐ日ぐれ春霞 Tomoya
春なのにつめたい風が子を帰す Sizuku
1句目、春霞の置き方が、余韻を残して効果的です。この季語の使い方は、お手本のようです。俳句の本にも書いてあることですが、目にする対象(上の句では、子供の遊ぶ姿がないこと)と季語とは離せば離すほど良いです。また、上五・中七を、季語にかけない(説明しない)こと、そのことで最後の(予想外に)季語と出会った時に「ハッ」となります。それが余韻を生じます。子供の帰った場所(たとえばブランコ)を見ていたと思ったら、ふと春霞が目に入った。「ああ、春霞か……」となり、季節の移ろいに自身が立ち尽くしていることに気付く、そんな味わいに仕上がっています。語の意味上のつながりを切ることで、意味とは別のつながりが目に浮かぶ、そんなTomoya君の霞を詠んだ俳句です。
2句目、「子を帰す」という言い方が「風」にぴったりです。思いを吹き込んでいるように感じます。春=温かい=子供、と思いきや、冷たい=風=帰る子供という、春一番(風)に対する感想。「春の中に冷あり」というSizukuちゃんの(人生を通しての)発見は、多くの人に頷かれることでしょう。それは次の芭蕉の句にあるような、発見の境地とも相通じているように思います。「よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな」と。風とブランコとの間に競走を見つけた、去年と同じ時期の「ふらここと風ときょう走5時5分」を思い出しました。Sizukuちゃんは風を詠む人なのですね。
この日の「霞」と「風」の対句は、何とも言えず味わい深かったです。