担当の梁川です。
昨日の雨が夜のうちに上がり、爽やかに晴れていました。
前回に始めた「はこにわ」の取り組み。今日はホワイトボードに「しぜんの『生きた』はこにわ」と書いて、ここを強調しました。
前回は、森や園庭の隅の苔を中心に採取し、みんなはすぐに庭らしきものを作っていました。
二週間たったその「庭」を、みんなに眺めてもらいました。
勿論、私が時々水をあげていたので、殆ど枯れているものはありませんが、苔が乾き気味な庭もあれば、青々として水々しい庭もあります。何故その違いが生まれるか、少しの間考えてもらいました。
採取したままのシート状の苔を、ただトレーに敷き詰めただけのものは、乾き気味です。一方、下にある程度土を敷いてから苔や草を載せたものや、水を張ったガラスベースに島状に苔の山を置いたもの、ガラスやコップをかぶせてテラリウム状にしたものは、元気があります。
つまり、「生きた庭」には、より水分が保たれる環境が大切です。
目には見えにくい水分の循環を、手元の小規模な環境で直感的に掴んで欲しいと思いました。
さらに、一番大切にしたいポイントを伝えるために、みんなに訊ねました。
「前回、苔や草を採った時、苔や草は、何か言っていましたか?その声が聞こえた人はいますか?」
みんな、少し考えていました。「聞こえた…」と小さな声で答えたあと、「やっぱり聞こえなかった」とFukinoちゃんが言いました。他のみんなも「聞こえなかった」と言いました。
静かであったことは確かです。そして、虫や動物ならおそらく逃げようとするところを、じっとして、みんなの手やスコップに収まり、付いてきてくれた、というあたりまえの事実を確認した上で、「心して」採る、つまり、それらを「採る」というより「分けてもらう」のだ、という気持ち、「ありがとう」という気持ちを忘れないよう、みんなに伝えました。
もう一つ、キーワードとして「すみっこ」と伝えました。石段や植え込みの隅っこ、石垣の隙間を見ると、「どうしてこんなところに生えてきたのだろう」というような苔や草が見つかります。大抵の場合、掃除の際に取り除かれたり、大きく育たなかったりする、そうしたものたちが、みんなの庭で生き生きと過ごしてくれたら、庭をつくったかいがあるというものです。
前回、「砂や石も使いたい」という声があったので、今回は園庭の隅っこに目を凝らした後、沢へ向かいました。写真とともにその様子を御覧下さい。
沢からの帰り道に、こんな会話がありました。
「植物って、どこに目があるのかな」(Ayano)
「動かないから、見えなくても大丈夫なんじゃない?」(Naoto)
「危険が近づいてくることもあるから、見えないと困るよ?」(Tomoya)
「自転車がお花に近づいてくることもあるよ」(Fukino)
さて、草花たちは、どんな風に周りを感じているのでしょうか?
クラスではそうしたことを、みんなが草花と向き合うことを通して、感じたり、考えたりする時間を大切にしたいです。