福西です。
『王への手紙』(トンケ・ドラフト、西村由美訳、岩波少年文庫)を読んでいます。
この日は「1 礼拝堂で」を読みました。
E君とK君が要約をしていたので、発表してもらいました。最初にE君、続いてK君。それぞれ堂々とした要約でした。聞いていると、少しずつ違う部分と、共通部分(それがより強調されました)とがあり、ちょうど楽譜で低音パートと高音パートとが少しずつ違うように、でも一つの曲を合奏しているようでした。そのように、文章がハモって聞こえるのが、複数生徒の良さだなと思いました。
(コルリ、wikipediaより)
Aちゃんは、先週の授業でさっそくインスピレーションを得てくれたようでした。ティウリの名にちなんで、鳥のコルリを主人公にした絵本を書き始めたそうです。Aちゃんの作品を私が読ませてもらったのは、これまでで11作目。次回作の完成が楽しみです。
生徒たちは、これまた事前に「勉強会をしたのかな?」と思うくらい、付箋をいっぱい貼って来ていました。私はその意気込みに圧倒されました。
アンダーラインについて、それぞれの気に入った個所など、情報交換しました。
語彙について、生徒たちから発見や疑問を提出してもらいました。広辞苑をそれぞれ1冊持って、必要があれば引きました。そして家で引いたけれど分からなかった語彙を補完しました。「豪華絢爛」、「御名」など。「安寧」「非友好」など次回分についても引く姿が見られました。
前回出てきた「吟遊詩人」が気になって、戻って引く生徒がいました。その吟遊詩人の説明文からも「この『抒情』って何?」という質問が飛び出し、三人とも分からなかったので、全員でその意味を探しました。こういうのが、言葉の旅だなと思いました。
内容については、「もしティウリと同じ状況だったらどうするか」を述べ合いました。繰り返し聞こえる、ドアをたたく音。そして「神の御名において、ドアを開けよ」という小さな声。黙っているか、それとも応えるか……?
「私やったら………………迷う」
「ぼくは黙っていると思うなあ」
「相手の素性を筆談で確かめる」
など。
そして私からは「ティウリの心理状態にぴったりの言葉。それは『葛藤』」と伝え、辞書を引いてもらいました。
「心の中で両方の方向が生じ、また相反する力が働き、判断に迷うこと」
とありました。この活字の「迷う」が、Aちゃんの最前の発言から飛び出てきたように感じました。
続いて、作者の「書き方がうまいな」と思う所、伏線を確認しました。
─ティウリの座っている位置が窓際であることがおのずと分かる描写があります。それはどこ?
「ティウリのろうそくが一番早く短くなること」
─なぜ短くなるの?
「窓際だと、すきま風が多いから」
─ティウリが窓際に座っていなかったら、この後の展開は?
「声が聞こえなかったかもしれない」
─そう。だから作者は、ろうそくの炎が揺れている所からすでに段取りを組んで、情景をリアルにイメージして書いている。それがすごいなと思う。
そのあと、「もしも」ということで、ティウリが窓際にいなかったら、あるいは小さな声を聞いていなかったら、どうなっていたかを想像しました。
三者三様口々に、アナザー・ストーリーを、次回以降の内容のネタバレも含みながら、開陳してくれました。
「ウナーヴェン王が殺されていたかもしれない」
「そしてエヴィラン国がウナーヴェン国を征服していたかもしれない」
「そして次はダホナウト国を」
「そして、ティウリはマヌケにも会えなかったかもしれないし、ピアックも出てこないし、ヤロも改心してエヴィランから抜け出せなかったかもしれないし、イリディアン皇太子も殺されていたかもしれない」
と。
他の質問では、
─なぜ声が小さいのか、大きな声ではいけないのか?
「先輩騎士たちに気付かれて、ティウリが失格になってしまわないように」
「(この後出て来る)赤い騎士に襲われないように」
─ダホナウト王に直接助けを請いにいかないのは?
「目立つと敵に気付かれるから」
など。
話の種が尽きた後、まだ10分ほど時間がありました。私はどうしようかなと思い(葛藤し)ましたが、生徒たちは続きを読みたくてうずうずしていた様子だったので、2節の途中まで読みました。
次回は、「2 見知らぬ人からの依頼」です。音読については、ティウリが「やりましょう」と言い、声の主(老人)の頼みを引き受けたところからです。それから2節全体の内容を確認します。
このクラスの生徒たちは、モティベーションが高くて、集うことでさらにフィードバックがあり、意義を感じます。彼らがこれからを共にする、「旅の仲間」(指輪物語)なのだなと思うと、なぜだか感慨深いです。「本を読むことが好き!」という人たちのための雰囲気。それを今後も見守りたいです。
実はもう一人、参加希望者がいます。5年生のRちゃんという女の子です。今はご事情があって参加がかないませんが、合流できる日を楽しみにしたいと思います。
P.S.
(前回、作品の地図で盛り上がったので、私も高校生の頃、こんな地図を描いて空想に耽っていたことを話しました)
私は、児童書というものは、大人になった作者が、子供たちのために、思い出せるように書いた、時間の地図なのだろうと思います。それをそっと手にしながら、あるいはぎゅっと握りしめながら、心の中で旅した日々の思い出が、地続きに、あるいは飛び飛びに、未来のどこかとつながっていることを感じる時が来るといいなと思います。