「山びこ通信」2017年度冬学期号より下記の記事を転載致します。
『ラテン語初級文法』『ラテン語初級講読』
担当 山下 大吾
今学期も引き続き講読クラスが4つ開講されております。その内3クラスが散文のキケロー、1クラスが韻文のホラーティウスという内容です。なおキケローの『トゥスクルム荘対談集』を読み進めているDクラスは受講生のご都合で今のところまだ授業は行われておりませんが、2月中の再開が予定されております。いずれのクラスも文法を一通り終えられた方でしたら受講可能ですので、興味を抱かれた方は是非お問い合わせください。
AクラスではAさんと共に、前学期読み進めたセルウィウスの書簡に対する、前45年執筆のキケローの返書に取り組んでいます。愛娘トゥッリアを亡くし、悲しみに打ちひしがれるキケローに対して慰めの言葉を投げかけながらも、公人としての毅然とした姿を、国難の只中にある今こそ見せるべきと迫るセルウィウス。国政という活躍の場と家庭で得られる安らぎを同時に失ってしまったキケローの言葉は悲壮な響きに満ちていますが、一方でこの書簡の書かれた折から翌年にかけては、『老年について』を初めとして数多くの傑作が相次いで誕生することになります。その旺盛な創作欲の源となったのはこのような悲劇的状況であったに相違なく、斯様な運命に思いを馳せると、幾世代に渡って読み継がれてきた古典としての姿に、更なる重みが加わるように思われます。
Cクラスではその『老年について』を引き続きCuさんと共に講読中、56節まで進みましたので、全体の3分の2を読了したことになります。51節から54節までの農業がテーマとなる箇所は、見慣れない語が頻出し、ブドウ栽培上の技術や作業などに不案内なため毎回苦しめられる場面ですが、大カトーは嬉々とした表情が思わず目に浮かぶほどの勢いで話を進めます。そもそも西洋における「文化」cultureの語源はこの箇所でも触れられるcultura「耕作、地を耕すこと」であり、農業がそれほどの内容のある、豊かな営みであることは当然なのかもしれません。
CaさんとのBクラスはホラーティウスの『諷刺詩』を講読中、前学期までに1巻を読み終え、現在は2巻の第2編に取り組んでおります。第1編の57行から60行にかけての、たとえいかなる運命の下にあろうとも、書くことを止めることはないという主旨の詩行は、諷刺というジャンルに留まらず、詩人、すなわち「作り手」poeta, ποιητήςとしての力強い決意表明とも捉えられます。かの名句「私は記念碑を打ち立てた」Exegi monumentum(『詩集』3.30.1)に結実する彼の情熱の一端を垣間見る思いです。