今学期の当クラスはお一方の受講生を迎えて開講いたしました。一学期三箇月間でラテン語文法の基礎を固める方針の速習コースで、教科書は岩波書店刊田中利光著『ラテン語初歩 改訂版』を使用しております。毎週 4 課ほどのペースで、ゆっくり急ぎつつゴールを目指しております。
日程の都合上今年に入ってからの開講となったため、まだそれ程過程を終えておりませんが、それでも練習問題では早くも語順の妙を感じさせるものが表れます。語形変化の多いラテン語ならではの楽しみの一面と言えるでしょう。
その練習問題で、文法上の機能は異なるものの、形態の上では同じ形になってしまうため二通りの解釈が可能となるといった例が見られますが、受講生の N さんはそれらを丁寧に読み解き、これまでほとんどのケースでその双方の答えをお答え下さっています。講師たる当方は、以前懸命に学んでいた折の自らの姿を思い返し、当時これ程の余裕があったかどうかと振り返りつつ、ラテン語のとる通常の語順に則った、また内容から見て無理のない「素直な」訳を正解としてお答えしております。
ところで一方の「意地の悪い」訳は往々にして、時に頬が緩み、時に眉をひそめるような意味となり中々捨てがたい魅力を持つものです。日本語のいわゆる「ぎなた読み」、落語の軽妙なやりとりなどはその好例と言えるでしょう。
文学作品などの定説と呼ばれるものも元をたどれば「素直な」読みの一つだったのでしょうが、長期間に渡る賛同更には賞賛に塗り固められ、いつの間にか動脈硬化を起こしている可能性も考えられます。ラテン語に限らず、普段我々が触れ、特に当たり前と捉えられがちなあらゆる現象に対して、奇を衒うことなく、あらためて「素直に」一人自らの目で見直してみるという行為が求められているのかも知れません。たとえその目が知らぬ間に「色眼鏡」を通したものになっていたとしても、それも立派な個性として認められ新たな読みが可能となり、ひいては普遍に寄与する手掛かりになるものと思われます。このような考えがふと浮かぶのも、文法表というガンジガラメの規則に毎週取り組まざるを得ないラテン語学習の恩恵の一つなのかも知れません。(文責:山下大吾)