福西です。
「まとめる」と、「辞書引き」、先週の「Dixit」の続きをしました。
このクラスでは秋学期から、授業の最初の十分から十五分を使って、「まとめる」という要約の取り組みをしています。年始は書初めやかるた会をしたので間があきましたが、また続けていきます。
最近、生徒たちがこの取り組みを「しんどい」と言うので、ではなぜしんどくなるか、その理由を説明しました。
原因はずばり、「抜き書きが長くなりすぎている」ことです。
抜き書きは、筆者(作者)の主張を正確に伝えるための基本ですが、ただそれが長すぎると、要約ではなくて書き写しになってしまいます。それがしんどいのだろうと感じます。かくいう私自身も、小学生の頃、書き写しにはあまりいい思い出がありません。
「まとめる」をした最初の頃は、なかなか書き始められない様子が見られたので、そこで、「まず段落に分けて、各段落からちょこちょこ抜き書きすると書きやすい」ことを伝えました。
それがうまくなってきたことは前進です。
ただ、それが行きすぎて、書き始めるのが早くなる一方、今度はなかなか書き終わらない、という様子が見られるようになりました。
そこで、一度バランスを立て直す必要があると考えました。もっと気楽に、肩の力を抜くようにと、以下の例を示しました。
「まとめる」の例
冬、蝉が食物のある蟻のところへ来て、「夏の間いそがしく歌っていたから、食べ物を分けてほしい」とたのむ。けれども蟻は「ならば踊れ」と言って断る。
(80字)
本文は、以下の通りです。
『蝉と蟻』
冬の一日、蟻は夏の間にためこんだ穀物を穴倉から引っぱり出して、乾かしていた。
腹をすかせた蝉が来て、露命をつなぐため、自分にも食物を少し恵んでくれ、と頼みこんだ。
「夏の間、一体何をしていたのかね」と尋ねると、
「なまけていたわけではない。忙しく歌っておりました」
と蝉は答える。蟻は笑って、小麦をしまいこみながら言うには、
「夏に笛を吹いていたのなら、冬には踊るがいい」(『イソップ寓話集』三七三、中務哲郎訳、岩波文庫)
最初の目標だった抜き書きはうまくなってきたので、次の目標はそのバランスです。アクセルとブレーキとを上手に使えるように、いいとこどりでステップアップしていきましょう。
生徒たちの書いた「まとめ」です。
冬の一日に、せみが来て、食べ物をくれとたのまれた。「夏の間何をしていたの。」ときいた。「いそがしく歌っていた。」と言う。ありはわらって、「冬にはおどるがいい。」と言った。
ある日、ありは、せみに夏にいそがしく歌ってたからたべものを分けてくれ(と言った)。するとせみは言った。ならば冬はおどっとけ。
冬、食べ物を分けてほしいからありのところに来て歌ったというとありはおどればいいといってことわった。
ある冬、(お腹を)すかせたせみがありの所へ行った。自分にも食べ物を少し分けてくれと頼んだ。ありは笑いながら「冬には踊るがいい。」と言った。
蟻が自分にも食物を少し恵んでくれと、頼むと、「夏の間、一体何をしていたのかね」と言うと、「なまけたわけではない。いそがしく歌っておりました。」と答えると、蟻は、「夏に歌うなら、冬には踊るがいい。」と言った。
また本文に出てきた単語で、分からないものを辞書で引きました。「露命」と「恵む」を引く姿が見られました。
なお、SちゃんとT君は、あまった時間で、話の続き(自分ならどう終わりを与えるか?)を創作してくれました。
それでも、せみにいった。
「あと一週間の命だ。」
とたのむと、
ありはしょうがなく、りんごをくれた。
でもそのりんごはありが食べる大きさだったので、せみはがっかりした。
(Sちゃん作)
即興なのにウィットに富んでいます。すごく面白いです。「がっかり」という落としどころに、双方痛み分けのやさしさを見た気がします。
三週間後。
「なぜあり君は友だちのせみ君にこく物を分けなかった! 前はキリギリス君もうえ死にさせたのだぞ。」
「だって、キリギリスたちはおどってたのですよ。ハチけいし(警視)長。」
「だからといえ友だちだぞっ。おまえは人間にかわれるのけいだ。」
「ひぃっ。それだけはおゆるしを~。」
(T君作)
「人間に飼われるのけい(刑)」はなかなか思いつけない独自の展開です。T君の感性の鋭さを感じます。
今週のお話の栄養は以上の通りです。
その栄養を使って、次は、先週の「Dixit」(物語連想ゲーム)の続きをしました。「今度はチーム戦がいい」という要望があり、3チームに分かれ、ルールを改良しました。五七調で絵のイメージを伝えるというのは先週と同じです。あっという間に時間が経ちました。
みんな頑張っていますね。dixit(彼は言った?)がラテン語なのがちょっと嬉しいです。
要約、とてもよいと思います。願ったり叶ったりです。少し遠い将来に向けて、一歩一歩、確実な力となってくることでしょう。
お話の続きの創作も、興味深いですね。各々の感性が光っていて、新しい発見がありました。こういう創作を、みんなでやってみてもおもしろそうな気がします。
福西です。
Sちゃんのお母様、たくさんのコメントを頂き、ありがとうございます。
今のSちゃんご自身は自分のことをどう評価しておられるか分かりませんが、Sちゃんは要約が「得意」だと思われます。もしかしたら将来、文章に関わるお仕事をなされるのではないか、そんな風に、私個人は時として思うことがあります。
要約という取り組みがストイックであればあるほど、そこからはじける「何か」に対する期待感を私もますます抱きます。たとえばSちゃんのウィットがそうです。
『蝉と蟻』のSちゃんの要約の中に、すでにそれが見られます。
「夏の間何をしていたの。」
という表現には、女性的な音色を付与されたおかげで、余韻がこもっています。
このSちゃんの表現に触れて、私もふと3年生の時のことを思い出しました。国語の教科書で『白いぼうし』(あまんきみこ作)を読んだ時なのですが、担任の先生が「ぼうしから飛んでいったチョウがもししゃべったら」という話題をクラスに振りました。
その時、「わたしを助けてくれて、云々」みたいなことを私が言うと、「なぜ、『わたし』なのか」と問われました。そこで、「だって、女の子のチョウかもしれないから」と言うと、その先生は、クラスでたいそう称揚してくれたのでした。私が国語を「好き」だとはっきりと意識したのは、その一瞬があってからだろうと思いますが、その時の担任の先生と同じ「なるほど」と揺さぶられるような感情を、「フラココ」の時もそうでしたが、私もまたSちゃんに対して抱きました。
Sちゃんのお母様がお書き下さった通り、そうした「要約では書ききれないもの」を寄せ合って、みんなで創作をするのも、今後の展開として大いに期待が持てそうです。
貴重なご意見を有難うございました。