「山びこ通信」2016年度秋学期号より下記の記事を転載致します。
『中学数学』B
担当 福西 亮馬
生徒たちは毎週主体的にそれぞれの課題に当たっています。中には、学校の先取り内容に四苦八苦しても自負を失わずに「ぼくは数学に食らいついています」と言ってくれる生徒がいます。それで、そうした生徒たちの参考になるかどうか分かりませんが、私自身の体験を書きます。
私は小学校の時は算数が一番好きでした。中学校も何とか無事それで過ごしました。しかし高校でⅡ類を選択し、そのまま順調に行くかと思ったら、一年生の時に「多項式の展開公式」、二年生の時に「加法定理」と「三角関数の合成公式」で、それぞれつまずきました。一覧表となった公式を自家薬籠中にできなかったからです。また高校になると、範囲となる問題集の量の多さにも、カルチャーショックを受けました。それは大きく見ればⅡ類選択の自己責任にあたるのですが、その時は訳が分からず四苦八苦しました。基本問題と応用問題との区別をつけられず、どれも難しい問題に見えましたし、何よりその量を質に変えることが大変でした。まんべんなく解くぐらいでは解き散らかすのと同じで、同じ問題を三回以上しなければテストに通用しなかったからです。後ろの答を見て解き方を覚える癖がついてからは(それが悪いことではなくてステップなのですが)、「体系的な理解はこれからだ!」というところで、もっとワクワクして時間をかけなければならないところ、あたかも「仁和寺にある法師」のような中途半端な勉強法で乗り切ろうとしていました。つまり問題と解法とを一対一対応で暗記するという、ショートカットを選んでしまいました。そうした応用性の乏しい準備で試験に挑むので、いつも張子の虎で結果に一喜一憂し、自信を失くしかけていました。それでも、小学校の時を思い出し、ひそかに「数学は好きだ」と自負していました。
私が数学嫌いにならなかったのは、もともと考えることが好きだった性分と、小学校の頃に母親に見てもらった思い出の貯金と、それまでのせっかくの積み重ねを断ち切ってしまうことを「もったいない」と感じていたからでした。
高校の担任が数学の先生で、二者面談の時に「君は何の科目が好きか」と聞かれました。私は上気して「数学です」と答えました。すると「君が?」と鼻で笑われました。その時点の実力では客観的にそうだったのだろうと思います。けれども「そうか」と頷いてもらえれば、天にも昇る気持ちだったでしょう。それが悔しかったので、その時の定期テストでは見返そうとしてそれなりの結果を出しましたが、同じことが何度もできるはずもなく、頑張ったり頑張らなかったり、自信も成績もなかなか安定しませんでした。
そして本当に苦手意識(実力と思いとのギャップ)を克服できたのは、大学受験で自宅浪人した時でした。受験の失敗がむしろ幸いしました。一年間というスパンで腰を据え、自分の納得のいくように公式も導出するところから勉強し直して、「これとこれはむしろ覚える、これは覚えなくても自分で導ける」という見通しがつけられたからでした。それから大学でより体系的に学ぶ機会を得て、今までの苦労がつながっていき、その必要性を把握することができました。工学科の研究室に配属され、そこの本棚にあった『数学セミナー』のバックナンバーを片端から読んでワクワクし、逆に自分の研究をしないことを怒られたりもしましたが、結局は数学との付き合いが今では一番深くなりました。実力のほどはさておき、好きであることに関しては、「途中でやめなかったおかげで、おつりまで返ってきた」ことを経験しました。
数学に限らず、どんな科目でも付き合い続けていれば、思いの通じる時点がどこかで出てくるのだと思います。結局、人がその科目から好かれることを期待するのではなくて、むしろその科目が人から好かれることを期待しているのだと思います。だから、人が途中でやめない限りは、勉強は片思いには終わらないのでしょう。そして両想いになるまで「続ける」ためには、ところどころ手を抜くことも必要なのかもしれません。
それなので、もし学校の進度が自分とは合わず、達成感の低い状況が慢性的になり、「二の足を踏んでいる」と感じたら、仮にその視野を十年先にのばして、「つかず離れず」に方針を切り変えてみてください。現役の頃にその視点の切り替えは「周囲から取り残される」ようで難しいかもしれません。しかし急ぎすぎた結果、大学の一回生の時期が「やれやれ」という出口になるようであれば、元の木阿弥です。そうではなくて、むしろ大学に入る時点を「これからやっと、分からないことが分かるようになる!」という入口として期待できるような、有意義である下積みの時間に、私は寄り添いたいと考えています。