「山びこ通信」2016年度秋学期号より下記の記事を転載致します。
『イタリア語講読』
担当 柱本 元彦
二名で続けています。残っていたモーツァルト=ダ・ポンテの『ドン・ジョヴァンニ』の後半を読み終え(十八世紀末の韻文だけれども簡単です)、その次ですが、当初予定していたようにリブレットばかりを続けるのはやはり抵抗があります。結局マッシモ・ミラが『コジ・ファン・トゥッテ』について書いたものを選びました。さて、イタリア二十世紀初めの人文学研究にはクローチェという巨人が君臨し、いわば全てを歴史哲学のなかに溶かしこみました。ファシズムと戦争と苛烈な内乱の季節が終わり、イタリア再建の時代、知的世界を牽引した知識人の最良の部分は、クローチェの弟子筋(精神的な)でありながら、クローチェと対決しつつそれぞれの分野の独自性を主張した人々でした。そのなかにはたとえば美術史のロベルト・ロンギがいましたが、音楽の世界では誰よりもマッシモ・ミラでしょう。イタリアの美術関係は日本にも多く入ってきていますが、なぜか音楽の文献は少ないように思います。ロンギには邦訳もありますがミラにはありません。『コジ・ファン・トゥッテ』についてですが、ロマン主義的に解釈できる『ドン・ジョヴァンニ』は十九世紀にも流行りましたが、いかにも十八世紀的な『コジ・ファン・トゥッテ』は、ワグナーの批判に見られるように、それほどの評価も受けずに上演も限られていました。ミラはワグナーの批判を論破するわけですが、少し驚いたのは、二十世紀の半ばにはもう『コジ・ファン・トゥッテ』の再評価が進んでいたことでした。その十八世紀的なありかたがポストモダン的ですから、二十世紀も最後になってからの再評価ではないかと思っていました。ともかく、幾何学とシンメトリー、喜劇について考察を進めながら、『コジ』をさらに楽しいものにしてくれる文章と思います。