浅野です。
sense perception as knowledgeという節に入りました。
知覚には正しいも間違っているもないという主張が印象的でした。水面に突き出た棒が曲がって見えたとしても、それは光の屈折という物理的な問題であって、推論が正しいとか間違っているとかいう次元ではないということです。知的な推論から導き出した行動の結果によって正しいとか間違っているとかいうことがわかるのです。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
sense perception as knowledgeという節に入りました。
知覚には正しいも間違っているもないという主張が印象的でした。水面に突き出た棒が曲がって見えたとしても、それは光の屈折という物理的な問題であって、推論が正しいとか間違っているとかいう次元ではないということです。知的な推論から導き出した行動の結果によって正しいとか間違っているとかいうことがわかるのです。