福西です。
今回は次の文章を読みました。先週に使ったテキストの続きの部分です。
『ハタラキアリとキクイムシの話』つづき
もうひとつ、いい話がある。これはキノコ専門の人に聞いた話だ。
キクイムシはその名の通り、木を食べているように思われるが、実はそうではない。木の繊維はものすごく消化が悪く、普通はバクテリアかアメーバか、キノコのカビぐらいしか消化できない。
反芻する牛などは草を消化しているように見えるが、あれは第一と第二の胃にバクテリアがいて消化を助け、やわらかくなったところで、もう一度口でかみなおされて、第三、第四の胃にいく。うさぎもコロッとした糞をするが、実はこの糞は二度目の糞で、一度目はべちゃべちゃで、そこにバクテリアがいて発酵させ、うさぎはその糞を食べて、コロンとした糞をする。
キクイムシも木は消化できないから食べてはいない。ただいたずらに穴をあけるだけ。では穴をあけてどんないいことがあるかというと、そこに隙間ができる。その隙間にキノコのカビがはえる。キノコのカビが木を消化して、キクイムシはそれを食べる。(…中略…)
人間と人間のあいだには、隙間がある。これは他者の定義みたいなもので、親子であれ夫婦であれ、別の人格だから隙間があるのは当然だ。隙間があるから、その隙間にはえるカビみたいなものが言葉であって、言葉を食べるから自分が育つと考えたほうがいい。
──『人生20年説』(森毅、イーストプレス)より
二行目以降の四つある段落のうち、おそらく一番最後が重要な部分です。今回はその箇所の言い回しが難しくて、意味を取りにくかったと思います。そのせいもあってか、みんなの要約を見ると、三つ目の段落にフォーカスしているものが多かったです。
みんなの要約
キノコ専門の人によるとキクイムシは木を食べているのではなく穴をあけてカビが生えて、カビは木を消化したのを(キクイムシは)食べる。人と人の間があってそこにカビが生えるように言葉を食べるから(人は)育つと考えたほうがいい。
キクイムシは木を食べていない。消化がわるいからだ。木に穴をあけるだけ。どんないいことがあるかというとそのすきまにきのこのカビがある(=生えてきて)それを食べるのだ。人と人はすきまがある。べつの人かくだからすきまがあるのはとうぜん。すきまに生えるカビと(=のようなものが)言葉であって、言葉を食べると(人は)育つと考えた方がいい。
キクイムシのことは、キノコのせんもんがくしゃにきいた。「キクイムシはその名の通り、木をたべているがそうではない。」と言っている。木のせんいはものすごく消化がわるく、ふつうはバクテリアかアメーバか、キノコのカビくらいしか消化できないから、キクイムシは木をたべていなかったのだろう。キクイムシは(カビを生やすために)ひっしのかんじで穴をあけているだけだ。みんな言葉を食べるから自分が育つと考えたほうがいい。
これはキノコ専門の人に聞いた。キクイムシは木を食べているように思える。でも食べてない。普通はバクテリアかアメーバか、キノコのカビぐらいしか消化はむり。キクイムシも木は消化できないから食べてない。ただいたずらにあける。穴をあけたら隙間ができる。その隙間にキノコのカビがはえる。キノコが木を消化して、その虫はそれを食べる。隙間があるから、その隙間にはえるカビが人間では言葉。人間は言葉を食べるから人間は育つと考えるといい。
筆者がキノコの専門家に聞いた話によると、「キクイムシが木に穴をあけるのは、直接木を食べるためではない。穴にカビを生じさせ、そのカビの消化物を食べるためである」という。これはバクテリアが牛やうさぎの消化に一役買っているのと同様である。人間同士にもすき間がある。だがそれがあるおかげで言葉が生じる。人間はその言葉を食べることで成長する、というのが筆者の考え方である。
一人はこの日お休みでした。なお最後は私の要約です。
抜き書きについて、それぞれだいぶうまくなってきました。一方その段階から脱皮しようとして、自分の言葉で言い換える工夫をしている箇所が見られます。まだうまくいっていないことも多いですが、それも頑張るからこその過程だと思います。10分という区切りの中に、だんだん推敲の時間が増えていくようになればと思います。
今回の文章は、「ことば」のクラスとしてふさわしいと思ったので紹介しました。