福西です。今回の要約(クラスでは「まとめ」と言っています)は、次のような文章を読みました。
『ハタラキアリとキクイムシの話』(1)
京大の理学部長、日高敏隆に教えてもらった、非常に印象的な話がある。
ハタラキアリは『アリとキリギリス』というイソップ物語があるし、ハタラキアリという名前からして、ものすごい働き者というイメージがある。ところが、本当に働いているのは二割しかいない。あとの八割はただうろうろとして、働いているフリをしているだけである。
以上は十年前にわかったことだが、現代昆虫学の成果によると、もっとすごいことがわかった。
ハタラキアリのなかの働き者二割だけを集めて精鋭集団を作ると、そのなかの二割しか働かなくなる。さらに、さぼりのハタラキアリだけを集めたずっこけ集団を作ると、あきらめて二割は働き出すという。
これは人間の社会にも当てはまって、忙しそうにしている奴にかぎって八割のほうだったりする。(…中略…)人間は昆虫や他の生物から教わることが多い。
──『人生20年説』(森毅、イーストプレス)より(平成元年ごろ)
これに対する要約は以下の通りです。今回も10分と決めて書いてもらいました。
ハタラキアリの8わりは、はたらいているようにみえて実ははたらいていない。さらにその2わりを集めてしゅう団を作ると、そのまた2わりしかはたらかなくなる。これは、人間でもよくあることではないのだろうか。
筆者が日高敏隆に教えてもらった非常に印象的な話がある。(ハタラキアリで)本当に働いているのは二割だ。あとの八割はただうろうろとして働いていた。以上は十年前に分かったが、現代昆虫の成果によるともっとすごい。ハタラキアリの働く二割を集めると、そのなかの二割しか働かない。
はたらきアリはほとんどの人がはたらいていると思っているが、本とうは、二わりだけしかはたらいていないのだ。後の八わりは、はたらいていないのだ。つまり、歩いているだけだ。こういうのがあるから、生き物はみんな(人間にとって)、教わることになる。
ハタラキアリは、名前からしてとても働いているイメージがある。だけど働いているのは二わりしかいない。あとの八わりは働いているフリをしている。働き者二わりを集めるとそのうちの二わりだけしか働かなくなる。
ハタラキアリとキクイムシの話を日高さんに聞いた。はたらき者というイメージがあるハタラキアリだが、はたらいているのは二わりしかいない。八わりはうろうろしているだけ。十年前のせいかによるとはたらき者を二わり集めてその中の二わりしかはたらかない。さぼるアリを集めるとあきらめて二割ははたらく。これは人間社会と同じだ。いそがしそうにしているやつが八わりだったりする。生物に教わる事が多い。
筆者(森毅)が日高敏隆から聞いた昆虫学の最近の成果によると、「ハタラキアリの社会では、実質の働きアリは二割で、他の八割は働いているフリをしている。そして働いている二割だけを集めると、その中の二割しか働かなくなる」という。この話から、人間社会も学ぶことがある。忙しそうにしている人ほど、実質は働いているフリをしているだけではないだろうか、と。
なお、最後の要約は私です。
四回目にして、自分から本文を読み返す人がようやく出てきました。書くコツは、読み返すことです。ごはんで言えばよく噛むことです。それは精読とも言います。やはり回を重ねるごとに、だんだんと解像度が上がってきているように見受けます。
あと、引用元を書いている人もいて、それも良い癖だと思いました。その分文章が長くなるので要約では難しいことです。私もこの「ひと手間」を加えるのが苦手です。ただ、「誰がどこから聞いた話か」を書くことは、将来的にますます大事になるだろうと予想します。
議論は、いきなりはじめても、かみ合わないだけで、不毛に終わることが多いです。テレビの娯楽番組ならそれでもいいのかもしれませんが、何か新しい知見を得ようという時にそれでは困ります。まずは何らかのテキストを配って、その要点をその場の多数が理解していること(それは「書く」と一番よく見えます)が建設的な議論の土台になります。「なんでこんな要約のような面倒くさいことをするのか?」という説明に、その土台を据えることの大事さをクラスでも伝えました。