中学数学B(2016/10/27)(その2)

福西です。

以下に書くことは、もし同じ悩みを持っている生徒がいたら、参考にしてほしいと思います。これはもうじき発行される「山びこ通信」でも触れたことなのですが、Sちゃんと同じような状況で、私にも身に覚えがあります。そして進学校に通う生徒たちには、ある程度共通して言えることだと私は考えます(私の知っている範囲で、山の学校にアクセスのある人では、他にYwa君、Rtaro君、Ta君)。

Sちゃんは試験範囲と思っていた箇所以外のところから出題され、最初から焦ってしまったようでした。解けるはずの問題を解き散らかしてしまっていることから、それがしみじみ伺えます。

その「範囲外」というのは、しかし、以前に見た一次関数や連立方程式など、Sちゃんにとっては「復習」にあたる部分でした。

そのうちの半分以上の問題について、もう少し粘っていたら・・・と思えるところで、早々と見切りをつけてしまって、次の問題に移っていたり、単純な計算間違い(計算の仕方を忘れていること)に足元をすくわれたりしていました。おそらく以前の試験で、それを試験範囲として臨んでいたのであれば、できていたと思います。

そこから分かったことは、「一度解いたはずの問題が、まだ有機的に体系化されていない」ということでした。

試験前に指定される問題集の範囲は毎回150問近く(代数と幾何とで300問)あります。加えて独自の補充プリントが出ています。

こうした目の前の課題の多さに、Sちゃんはいつも綱渡りの状況であって、落ち着いて復習にあてる(有機的に「あれは何だったのか」を思い出す)時間を確保できていないのでした。

進学校では、それぞれの科目でスペシャルな課題が用意されており、いわば「着いて来い」方式です。「分かることが楽しくて夢中でどんどん進む」というのは現実ではありません。「『分からない状況にも対処できるように、出会い頭はいつもやられっぱなし』という経験の積み重ね」が事実です。

転ばぬ先のありがたい杖ではあるのですが、これでは、よっぽど最初から好きでなければ、挫けます。好きだった人も、今後挫ける可能性があります。でも、後から思えば、その道に進むのであれば、その分量は必要だったとは理解できます。

そのようなジレンマに悩んでいるのは、実はSちゃん一人ではありません。

Sちゃんのような学校の枠組みでは、おそらく三十人のうち二十五、六人までは、復習をする前に自分の生活の「持ち時間」が無くなってしまうでしょう。時間は誰にでも有限なので、どの科目でもそれをしなさい、というのは酷です。

「試験の結果でいい人を何人も知っているから、そうは思えない」と思うかもしれません。おそらく「要領のよさ」で乗り切っている人がそのうちの何割かです。そこに無理やり引っかかったところで、結局のところその苦労は自信にはつながりません。(範囲を指定された試験では、往々にしてそれがあります)。放っておくと、やはりあとで剥がれてきます。

「同じ問題を繰り返し解きましょう。できれば応用問題を1回なぞるよりは、基本問題を3回なぞる方がいいです」とは私も言いますが、なかなか実践できないだろうことは、よくよく分かります。300問(中の100問であっても)を3回繰り返すなど、考えるだけで気が重くなります。どこから手を付けていいか、分からなくなります。

ただ、それが酷と分かりつつ、誰のせいにもしないで、その環境をどうポジティブに受け止めるか、どううまくサバイブするか。「いいところだけをもらっておく」という、発想の転換がSちゃんには肝要です。

Sちゃんが課題の量にめげずに穴を開けていないことだけでも、実はすごいことなのです。普通の進度の学校であれば、Sちゃんは優に毎回90点以上をキープしているでしょう。その力があります。

それと課題の量とをかんがえみて、Sちゃんにとっては、「数学を続けている」ことにこの上ない価値があります。

とにかく、あきらめさえしなければ、今はそれで十分です。

これは同じく、3年生で高校の範囲をしているYwaについても言えます。持久戦であり、俗な言い方では、「最後に立っている者が勝ち」ぐらいに思うのがいいと思います。

それなので、テストの結果は真摯に受け止めるとしても、それは文字通りのtestとしてであり、できているところとできていないところを教えてくれる「チェック機関」だと思ってください。数学の「好き嫌いを決める基準」ではないと受け止めることです。これは思い込みでも何でもなくて、「十代の得意・不得意よりも、もっとずっと息の長い付き合い方」が数学の世界にはあって、それによって数学と付き合うことができます。少なくとも、中学数学や高校数学には「まだ先」があります。それまでの「気力を失わないこと」が最優先だと私は考えます。

Sちゃんの今の悩みは、(当座の)時間が問題であり、結局のところは要領ではなくて、(まとまった)時間が解決します。要領のよさも一方では大事ですが、やはり乖離を生むだけだと思います。

どうか転ばぬ先の杖に転んでしまわないようにと願っています。