岸本です。
今日はウィーン体制崩壊後のヨーロッパの再編を見ていきました。
まずはウィーン体制下で「ヨーロッパの憲兵」であったロシアの南下政策を見ていきました。
オスマン帝国の「東方問題」に乗じて、ロシアはギリシア独立戦争、エジプト=トルコ戦争、クリミア戦争と南方に手をかけますが、それを警戒したイギリスなどによって阻止されてしまいます。
その中で、ロシアは自らの後進性を痛感し、上からの近代化が実施されました。
同時にナロードニキ(人民主義者)による下からの改革の試みがなされましたが、弾圧や農民の無関心もあって、成功はしませんでした。
その時は、生徒さんと現代ロシアの政治に対する無関心、そしてこの日本での無関心にも議論が及びました。
オスマン帝国の「東方問題」に乗じて、ロシアはギリシア独立戦争、エジプト=トルコ戦争、クリミア戦争と南方に手をかけますが、それを警戒したイギリスなどによって阻止されてしまいます。
その中で、ロシアは自らの後進性を痛感し、上からの近代化が実施されました。
同時にナロードニキ(人民主義者)による下からの改革の試みがなされましたが、弾圧や農民の無関心もあって、成功はしませんでした。
その時は、生徒さんと現代ロシアの政治に対する無関心、そしてこの日本での無関心にも議論が及びました。
続いては、イギリスの黄金期であるヴィクトリア時代を概観し、その時代に既にイギリスには「ミドルクラス」が形成され、現代に近いライフスタイルが現れていたことが話題になりました。
フランスの第三共和政では、この時期に共和政が定着し、それゆえフランス革命に重要な歴史的意義が付与されました。
また、この議論では、第三共和政下での国民統合で、フランス語が国語となったことは生徒さんの興味を惹いたようでした。
後半は、イタリアの統一の過程を議論していきました。
サルデーニャ王国が、ロンバルディアや中部イタリア、そして両シチリア王国を統一して形成されたのが、イタリア王国です。
その後、残されたヴェネツィアや教皇領も併合していきますが、生徒さんは教皇領が併合され、教皇庁は王国と対立したのに、現在はバチカン市国という一種の教皇領を有していることに疑問を呈してくれました。
まさにその通り、いい視点です。
現在のバチカン市国は、第二次世界大戦の前、ムッソリーニが教皇庁と和解した際にローマに与えられたものということを、先取りして確認しました。
今回は、論点があちこち移りましたが、それぞれ生徒さんから面白い指摘が聞かれたのが良かったと思います。
来週は、ドイツの統一とアメリカの発展について触れていければと思います。