岸本です。
今回は、宗教改革のその後と、各国の絶対王政の成立を見ていきました。
その後、新しい宗派プロテスタントは、イギリスや北欧、ネーデルラントやフランスにも拡大していきました。
他方で、イギリスではヘンリ8世の離婚問題から英国教会が成立します。
以上のようなプロテスタントの勢いに対して、カトリックも負けていませんでした。
反宗教改革として、イエズス会を中心とした海外布教や綱紀の引き締めなどを行うことで、イタリアやスペイン、南ドイツなどではなお勢力を保つことになります。
以上のように、カトリックとプロテスタントという対立は、今後宗教戦争という形でヨーロッパで多発することになります。
こうした争いの中で、ヨーロッパには主権国家が現れて、宗教からの脱却が進んでいくのです。
特に、スペインやイギリス、フランスでは絶対王政という形で君主のもとでの国家形成がさらに進みます。
例えば、スペインではフェリペ2世の下、カトリック政策を進め、ポルトガルを併合するなど「太陽の沈まぬ王国」となります。
しかし、ネーデルラント(=オランダ)がそのスペインから独立して「連邦共和国」となるなど、17世紀にはその勢力は衰えていきます。
代わりに海外で力をつけてきたのが、オランダとイギリスです。
イギリスは議会を中心に国家形成を進め、囲い込みなどを通して羊毛織物は国民産業になっていきます。
生徒さんは、当時の国家について、疑問をもってくれました。
それは、同君の国、例えばスペインのカルロス1世であり、神聖ローマ帝国のカール5世が両国を統合するつもりはなかったのかどうかという問題です。
私自身でも明確な答えを示すのは難しい問題ですが、当時の「国」のあり方を考える良い指摘だと思います。
この場合、ハプスブルク家全体の領土と、それぞれの国とは別と考えなければならないでしょう。
また、当時の同君王国において、即座に統合という意味は必ずしもなかったと私は考えます。
なぜなら、当時の「国」の考え方は、現在の私たちと同じではないと思うからです。
しかし、まさにこの時代に国同士が相争い、あるいは助け合うことでいわゆる私たちの知る「国」というものが明確化していくように思います。
今回も面白い議論ができて、大変楽しかったです。
来週は、フランスの絶対王政の成立の話から、17世紀の危機について話を進めていきたいと思います。