福西です。
五月雨を あつめて早し 最上川
芭蕉青梅に 手をかけて寝る 蛙かな
一茶
五月雨は、むかし(暦が今とは2か月ずれていた頃)の「梅雨」のこと。青梅は「あおうめ」と読みます。
『基本季語五百選』(山本健吉、講談社学術文庫)の「青梅」の項を引くと、「五月雨の候に黄熟するので、梅雨(ばいう)という」とあります。
つまり、「梅雨」という呼び方は、梅の実が、緑から黄に変わる頃に降る雨だからだそうです。
山の学校の向かいに梅の実がなっています。六月に入ったばかりの頃は、まだ固くて緑色だったのですが、今ではもうすっかり黄色くなって、ぽとぽとと石段を転がり落ちるようになりました。今この時がまさしく「梅の雨」なのだなと感じます。
その梅の木を見るついでに、外に俳句作りに出かけました。
あじさいは きれいにだけど 中は虫 Rin
目の中に 雨水はいり 目ぐすりだ Yu
すずめがね いそいでかえる じぶんのす Tomoya
それぞれ今の情景を、五七五にとらえてくれました。最後のT君の句は、雨が降ってきたことを暗喩しています。
教室では、『おそらにはてはあるの?』(佐治晴夫/文、井沢洋二/絵、玉川大学出版部)を読みました。
「どうして夜は暗いのか?」という疑問から出発して、オルバースのパラドクスというものをかいつまんで説明した絵本です。
先週、「矛盾」の故事成語を、漫画で紹介したので、今回は文章で読みました。(>矛盾)
『韓非子』の難一にある文章です。
高校で習った時には私も知らなかったのですが、原文では、堯と舜(儒者が大事に思っている古代の聖王)の両方を同時にほめることには矛盾があるという、儒者批判の内容となっています。
ちなみに原文は、いつもこちらを閲覧させていただいています。
Rちゃんが今日の印象を俳句にしていました。
うちゅうは、 はてはあるかな わからない Rin
Rちゃんが大きな疑問に対して、すぐわかったとしないところに、私も共感します。「?」を縦軸、「時間」を横軸にして、疑問を面積的に保持し続けてほしいと思います。