ラテン語を学ぶすべての人のために

日本では外国語といえば英語を中心に勉強してきたわけですし、実用を考えればそれは当然のことですが、学問(大学は建前として学問を追究するところ)の基礎は英語ではなく(英語は手段)、ヨーロッパの古典語です(かなり強引ですが)。

つまり、ラテン語を学ぶことは学問に志す(つまり大学に入学する)すべての学生にとって、また、大学で教える人(つまり教授)にはすべて必修の言語のはずです。こういう意見はもちろん乱暴な意見ではありますが、四捨五入すれば正解のはずです。

ところが、日本ではすぐに成果のあがることに努力を傾注してきたため、お手本として仰いだ欧米の「今」を見てきたため、彼らが基本とした「ヨーロッパの古典」をほとんど無視して「日本の今」を築いてきました。それが世界の標準にどれだけ寄与できるのか?今問題になっているわけでしょうが、その鍵は世界の普遍的な「基本」が何かを探ることだろう(少なくとも何かを心得ていることだろう)と思っています。

もちろん全員がまなぶことはありえないとしても、ギリシア語、ラテン語・・・それなに?という現状はいかがなものか?と強く憤りを感じます。論より証拠、騙されたと思ってラテン語を勉強しましょう。本当は山の学校で、ギリシア語も教えたいのですが、需要と供給の関係で、今はラテン語止まりですが、将来はプラトンやアリストテレスも原文で読みたいものです。なお、山の学校では中学生もアリストテレス(翻訳)を読解し、自分の意見を発表しています。

私もキケローやウェルギリウスがどのようなことを信じ、何を訴えたかを一般の方が自習できるようなしかけを今後とも提案していきたいと思っています。ということで、私の個人的なサイトも少し化粧直しをしました。

>>「山下太郎のラテン語入門