福西です。
この日は顔合わせと、外に出て俳句を作りました。
春もいろいろで、初春、仲春、晩春とあること、桜が散ったあとにも、昔の人は、柳や藤や山吹が咲くのを楽しみとしていたことを伝えました。
Sちゃんに「山の学校に登って来る途中にも咲いていたよ」と、あとで実際に咲いている山吹の場所を教えてもらいました。
生徒たちは学校が始まって、4月こそ春というイメージを口々に教えてくれました。その中で、R君が「お正月も春。春ははじまりということなんやなあ」と言いました。
みんなの思う春は何月から始まるのかをたずねたところ、M君は2月の半ばごろから、SちゃんとR君は3月からというイメージでした。
M君の書いてくれた四季の表では、冬が10月ごろから始まっていて、四季の中で冬が一番長いというイメージを伝えてくれたのが印象的でした。
春の季語を一覧で紹介すると、生徒たちには「フラココ」(ブランコ)が記憶に残ったようです。上の庭でもブランコをこぎながら、その俳句を作っていました。
この日は、風が強く吹いており、楠の葉をたくさん落としていました。
道には、たんぽぽの綿毛が出てきていました。たんぽぽの白色を、赤ちゃんか老人かどちらに受け取るかなと思っていたら、R君が「おじいさん」と言いました。
今日作ってくれた俳句は、また丸をしてお返しします。
次の芭蕉の句を紹介しました。
京は九万九千くんじゅの花見かな 芭蕉
「くんじゅとは何でしょう?」というクイズには、「ひとごみ」と返ってきました。
幼い頃、私のクレヨンの箱には、黄色のかわりに山吹色が入っていました。その日山道に咲いていた、あざやかな花の色は、まさしくクレヨンの「やまぶきいろ」で、私の遠い日の記憶と結びつき、ひとり興奮していたのでした。子どもはふーん、という感じでした。本州の生まれでない者にとって、桜と入学式は結びつかないし、新緑に映える山吹の花など、見たこともありませんでした。日本らしい季節の移り変わりを感じながら、毎週お山に通えて、子どもは幸せだなあとうらやましく感じます。
S様、福西です。コメントをありがとうございます。
私の頃も、クレヨンの箱の「だいだい」の横には、「やまぶきいろ」が入っていました。私はそれで、「なんで黄色はないの?」と思いながら、「やまぶ+黄色」だとずっと思っていました。
山吹色だと知ったのは、和歌にちょくちょく出てくるのを見るようになってからです。
耳の記憶、目の記憶、鼻の記憶。それと昔の人たちの記憶(の追体験)。どれも大事にしながら、生徒たちと俳句を作ったりしていけたらなと思います。