「山びこ通信」2015年度冬学期号より下記の記事を転載致します。
『ロシア語講読』
担当 山下 大吾
引き続きチェーホフの短編に取り組んでおります。前号の「山びこ通信」で講読予定とお伝えした『イオーヌィチ』を読み終え、現在は『中二階のある家』を読み進めているところです。受講生は変わらずTさん、Nさんのお二方、毎週綿密な下調べをされた上で授業に臨まれています。チェーホフを読み始めてから早くも一年が経とうとしておりますが、その間に彼独特のスタイルにも大分慣れ親しまれた様子がうかがわれます。授業中はもちろんのこと、授業後も作品やロシア語についての話が尽きず、楽しい対話が繰り広げられる昼下がりのひと時となっております。
『イオーヌィチ』はこの短編の主人公の父称がそのままタイトルとなったものです。およそ名作、古典と言われる作品を、その作品世界に浸ることなしに、あらすじや大体の枠組みのみで理解しようとすることほど愚かなことはないのかもしれませんが、それはさておき、この作品では主人公イオーヌィチがある娘に恋をするが結局実らず、その後事態が反転し、その娘がイオーヌィチに恋をしてやはり実らないという構図が見て取れます。これはまさしくプーシキンの代表作『エヴゲーニイ・オネーギン』で繰り広げられるオネーギンとターニャとの関係を、鏡写しのように反転したものにほかならず、その点でこの短編はロシア文学随一の名作のパロディと言って差し支えないものとなりましょう。そう言えばプーシキンのタイトルには、同じ主人公の名前でも名と姓だけで父称がありません。父称のみのタイトルは、遊び心の潜む、チェーホフからプーシキンに捧げられたオマージュと言えそうです。