浅野です。
ニーチェの『善悪の彼岸』を読みました。
『ツァラトゥストラ』よりはわかりやすく説明されているとはいえ、なかなか難解です。プラトン、デカルト、カントを批判する切れ味は鋭いです。デカルトの「我思う、故に我あり」を、「思う」から「我」を引き出すのは主語を必要とする言語的な特徴を考慮しても独断であり、それ(エス)が考えるのように言えるではないかという見解は、言われてみればもっともです。後にフロイトはここから無意識という理論を作り上げたということもあります。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
ニーチェの『善悪の彼岸』を読みました。
『ツァラトゥストラ』よりはわかりやすく説明されているとはいえ、なかなか難解です。プラトン、デカルト、カントを批判する切れ味は鋭いです。デカルトの「我思う、故に我あり」を、「思う」から「我」を引き出すのは主語を必要とする言語的な特徴を考慮しても独断であり、それ(エス)が考えるのように言えるではないかという見解は、言われてみればもっともです。後にフロイトはここから無意識という理論を作り上げたということもあります。
受講生は大学生ですね。高校生にも参加してもらいたいクラスですね。