山びこ通信2015年度秋学期号より下記の記事を転載致します。
『フランス語講読』(A・B)
担当 山下 大吾
Aのクラスは春学期でデカルトの『方法序説』を読み終え、現在はジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940-)のエッセー、L’Africain(2004、邦題『アフリカのひと』)を読んでいます。題名の「アフリカのひと」とは、ル・クレジオの父・ラウルのことで、ル・クレジオはこの本で父に対して抱いてきた微妙な感情や葛藤、そしてその原因を描いています。父はアフリカで医者として働いていましたが、第二次大戦の影響でフランスにいる家族とは一切連絡をとることができず、ル・クレジオが父と始めて会ったのは彼が8歳の時、戦争が終わって家族で父の元へと向かった時でした。その時すでに、父は権威的で怒りっぽく、また厭世的で孤独な人間になっており、ル・クレジオはこの父をうまく受け入れることができません。そして60歳を超えたル・クレジオは、父がこんな人間になってしまったのは、戦争とアフリカにおける厳しい日々のせいだったと考えているようです。ル・クレジオは父を通して、戦争の悲惨さ、植民地政策とそこにいる人々の滑稽さと醜さを、そしてまたアフリカの厳しい環境を、さらには父その人のひととなりと父に対する自分の感情を、淡々と、どこか自分には関係ない出来事のように客観的な文章で記述しています。本書におけるル・クレジオの文章は一文一文が短く、個人的な感傷やノスタルジーは極力排除されているように思われます。それによって、戦争の空しさや人々の無力感、植民地支配の愚かさが、そして父の孤独感と父に対するル・クレジオの違和感が一層生々しく表れてくるかのようです(こうした文体を、ヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイス、あるいはマルセル・プルーストといった20世紀初頭の「意識の流れ」と呼ばれた文学の潮流と対比してみることも面白そうです)。とはいえ『アフリカのひと』には、少年ル・クレジオがアフリカで体験した異様な高揚感や幸福感、自由も瑞々しく描き出されており、少年の目を通して伝えられる自然の力とその雄大さ、そして恐ろしさには、人間の存在の小ささを思い知らされるかのようです。
これを書いた時のル・クレジオは64歳。父が他界してすでに多くの年月が経ち、また自身も年齢を重ねたことでようやく過去を消化し、吐き出すことができたかのようです。原書はポケット版で120頁ほどの小さな本で、また夏休み期間も通常通り開講したためすでに3分の2程読了しました。このままでいけば年明け頃には読了できるかと思います。
Bのクラスは春学期に引き続いて『方法序説』を読み進めています。一回に進む量はそれほど多くはありませんが、デカルトの長文を丹念に読み進めています。長文になればなるほど代名詞や関係代名詞、接続詞のqueがなにを受けていおり、どのような働きをしているのかという基本的な事柄をひとつひとつ確認していくことが重要になります。特にフランス語のqueは英語のthatにあたる接続詞の働きだけでなく、関係代名詞や比較のthanとしても使われるため、文章のなかでどの機能を担っているのかをきちんと押さえる必要があります。従属節にさらに従属節が含まれるような入れ子構造の文章も多いので、文構造をひとつひとつ確認しながら読み進めています。
内容は現在、第5部の心臓の話をしている箇所を読んでいます。デカルトにとって生命とは一種の「熱」であり、心臓とはまさしくこの熱機関です。デカルトはこの生命=熱説を誇示するために、当時すでにイギリスのウィリアム・ハーヴェイによって論じられていた、心臓=ポンプ説を批判しています。デカルトによれば、心臓とは熱機関であり、静脈から心臓に入ってくる血液はこの熱によって熱せられ蒸発し、それによって心臓が膨張し血液が循環するのです。現代から見ればハーヴェイが正しくデカルトが間違っていたということになりますが、間違っているからこそ、限られた知見から体系的に世界の有りようを記述しようとする哲学者の努力が垣間見えるようにも思われます。
またデカルトの記述を読んでいると、当時心臓がふたつの心室からなるものと考えられており、今で言う心房とは大静脈、肺静脈の末端の拡がった部分と考えられていたことが分かります。また肺静脈、肺動脈はそれぞれ静脈性動脈、動脈性静脈と呼ばれており、もともとは心臓の右側にある血管が静脈、左側にあるのが動脈と呼ばれていたことも分かります。今でも中学校などで心臓の構造を習う際には、どれが動脈でどれが静脈なのかわかりにくかったりしますが、古いヨーロッパの人々も同じように悩んでいたのかもしれません。
いずれにせよやや煩瑣な記述が続きますが、ここを抜ければ人間と動物の違いなどまた面白い話もありますので、いましばらく辛抱して読み進めていきたいと思います。