『英語講読』C、山の学校ゼミ『倫理』・『調査研究』、『ことば』(4〜6年)(クラス便り2015年11月)

山びこ通信2015年度秋学期号より下記の記事を転載致します。

『英語講読』C(John Dewey, Essays in Experimental Logic)、山の学校ゼミ『倫理』・『調査研究』、『ことば』(4〜6年)

担当 浅野直樹

 現代という時代をどのように考えるかという大きな問題に直面しています。
 「倫理」クラスでは社会契約論からカントに至って近代思想の真っ只中を進んでいます。その次はアダム・スミスやベンサムといった経済学や功利主義を取り扱う予定です。いずれも社会をどのように考えるかということが大きなテーマであり、社会契約論では社会の成り立ち、カントでは普遍的な理性や義務、アダム・スミスでは分業、ベンサムでは効用の最大化がその答えになっています。
 これらの思想は、科学が発達し、産業化や都市化も進んで、伝統的な宗教を盲目的に信じることはもはやできないという点で現代に生きる我々と共通する部分も大きいです。しかしカントの義務論で顕著に見られるような強力な普遍志向には少し古臭さを感じました。実存主義やポストモダン思想を経て価値観が相対化された時代に我々はいるからです。
 さて、デューイなどプラグマティズムの立ち位置は微妙です。カントが言うような普遍的な理性を想定せずに具体的な場面における知を想定するという点で相対的だと言えますが、ベンサムに発する功利主義との相性のよさはある種の普遍性に通じます。
 このような相対性(個人)と普遍性(社会)との調停が現代の大きな課題ではないかと私は考えます。個人の価値観は多様でスマートフォンなどの技術のおかげもあって各個人は自由にコミュニケーションをとることができる反面、不安定さを感じるのもその一例です。こうした状況を「調査研究」クラスではインタビューを通じて浮き彫りにしようとしています。
 ところで、こういったことを考えたり調べたりするためには言葉を高度に使います。ここで言及した哲学者たちの著作は難解で読むのに苦労することが多々ありますし、インタビューをする際も意図が正確に伝わるような言葉を選択する必要があります。言葉をできるだけ思うように使えるようになるために、「ことば」クラスでは読んだり書いたり聞いたり話したりする活動をしてきたいです。