1029 山の学校ゼミ(倫理)

浅野です。

 

アダム・スミスの『道徳感情論』と『国富論』を読みました。

 

『道徳感情論』をしっかりと読むことで、「神の見えざる手」を強調して自己利益だけを考える通俗的なアダム・スミス理解は、彼が批判しているマンドヴィルの主張に近いということがわかりました。スミス自身は共感の果たす役割を重視しています。

 

『国富論』では次の記述が現在の日本にぴったりだと思いました。

 

 おそらく注目しておくべき点をあげるなら、人口の最大部分を占める下層労働者がとくに幸せに快適に暮らせるのは、豊かさが頂点に達したときではなく、社会が前進しているとき、豊かになる方向に発展しているときである。社会が停滞しているときには労働者の生活は厳しく、社会が後退しているときは労働者の生活はみじめだ。社会が前進しているときは、社会のどの階層も楽しく元気だ。停滞しているときは元気がなく、衰退しているときは憂鬱である。

アダム・スミス著、山岡洋一訳『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』(日本経済新聞社出版局、2007)p.85

 

絶対的な豊かさの規模ではなく変化率が重要だという指摘です。上の世代の人たちから「自分たちの若かった頃は貧しかった。今は豊かなのになぜ若者は文句を言うのか。」と言われたら、アダム・スミスのこの箇所を引き合いに出して反論することができます。