ひきつづき、『文選』巻27・楽府を読んでいます。今回は、魏の文帝・曹丕の「燕歌行」です。
題の「燕」とは、「つばめ」のことではなく、いまの北京一帯を支配した春秋戦国時代の国の名前です。のちに秦の始皇帝によって併呑されてしまいましたが、現在に至るまでその地域の別称となっています。曹丕の「燕歌行」は、その燕の地方に伝わっていた曲調に合わせて作られた「替え歌」のひとつであると考えられています(「津軽じょんがら節」のようなものでしょうか)。
はじめは、冷たい秋風の吹く景色が、『楚辞』九辯の表現を踏まえながら描き出され、「燕」や「雁」など、その季節を象徴する渡り鳥が登場します。その渡り鳥から、この詩の主人公は、遠く旅の空にある(あるいは「単身赴任中」の)夫のことを思い描きます。留守をまもる彼女は、いつもひとりで寂しさをこらえているのですが、夜、ふと窓の外を見やると、大きな大きな天の川。年に一度しか会えない「牽牛・織女」(織姫と彦星)に、つい自分たちの姿を重ねてしまう…、といった内容です。
主人公が寂しさに涙する場面の描写にももとづくところがあって、「古詩」や『詩経』の表現を借りたものです。この詩では、秋の風物詩である「燕」「雁」が、また旅人(=夫)をも連想させることで、(『楚辞』の)秋のもの寂しさと(「古詩」などの)留守の孤独感とがうまくつながっているところにおもしろさがあると感じました。
Kさんは、「曹丕のイメージと合いませんね」とおっしゃっていました。曹丕の夫人は、あるいはこの詩の主人公のように、夫の帰りを待っていたのかも知れませんし、そうだったらいいのになという曹丕の願望が表れているのかも知れません。
木村