「山びこ通信(2015年度春学期号)」より、下記の記事を転載致します。
山の学校ゼミ『社会』
担当 中島 啓勝
この授業では以前より、グローバル化の進展と拡大に伴って二つの大きな「危機」が世界を覆っているのではないか、という視点に立って生徒の皆さんと一緒にニュースを解読し議論してきました。その二つの「危機」とは、政治における「民主主義の危機」と、経済における「資本主義の危機」です。具体的には、冷戦終結によって決定的な勝利を収めたかに思われた自由主義陣営、それを支える二つの中心的なオペレーション・システムである議会制民主主義と金融資本主義が、今、大きく動揺しているという見方です。
まず、政治に関しては、世界の至る地域で議会制民主主義の機能不全が叫ばれています。特に注目すべきなのは、直接民主主義的手続きに対する要求の高まりです。例えば昨年のスコットランド独立住民投票や、記憶にも新しい大阪市特別区設置住民投票など、極めて大きな政治判断が「民意」に委ねられる事態が同時多発的に起こっているのは、決して偶然ではありません。民主主義のあり方についての異議申し立てが行われていると言えます。
また、サブプライムローン問題に端を発したリーマンショック、そしてその世界的な後遺症は、金融至上主義的な現在の資本主義体制への疑念を生み出しました。いわゆる「ピケティ・ブーム」も、こうした疑念を背景に出てきたものと言えそうです。
どちらの危機にとっても注意しておかなければいけない重要な論点は、民主主義も資本主義も原理的なレベルでの挑戦を受けているのではないか、という点です。つまり、「直接民主主義になればより良い民主主義になる」とか、「金融資本主義は行き過ぎだから、実体経済を重視したちゃんとした資本主義を確立しよう」といった話では済まず、「民主主義は本当にいいものなのか、資本主義しかあり得ないのか」というレベルまで疑わなければならなくなったということなのです。
これをもう一つの側面から象徴しているのが、近年のイスラーム主義の台頭です。イスラーム圏の国々が全て一枚岩で、全てが民主主義と資本主義を否定しているわけではありません。しかし、イスラームの教えによって国家や経済を運営していこうというイスラーム主義の考え方は、究極的には民主主義と資本主義を相対化しようとするものです。グローバル化が進み、世界が緊密になればなるほど、こうした価値の相違は今以上に顕在化してくることでしょう。こうした対抗勢力に対して、民主主義と資本主義はそれでも自らの普遍性を主張できるのかが問われているのです。
このように、「民主主義の危機」と「資本主義の危機」は、どちらも内憂外患の様相を呈しています。この「山の学校(社会)」では、むしろこうした時代状況を、何にも安易に寄りかからず根本的な場所から考え直し、自分たちなりの思考を鍛える好機だと捉えています。日々のニュースを読み抜くリテラシーをつけるために、これからも創意工夫を凝らしていこうと思っております。