『かず』(1年)『かず』(2年)『かず』(4〜6年B) (クラス便り2015年6月)

「山びこ通信(2015年度春学期号)」より、下記の記事を転載致します。

『かず』(1年) 『かず』(2年) 『かず』(4〜6年B)

担当 福西 亮馬

 1年生と2年生のクラスでは、『迷路』と『間違いさがし』をよくしています。
 『迷路』は、だんだん難易度が上がってくると、すらすら先へ進めることよりもむしろ、分岐点まで後戻りできること、経過の確実な部分を「セーブ」できることがコツになってきます。「場合分け」という技術的な課題がそこにあります。迷路は必ず解ける範疇の問題ですが、ゴールまでの見通しが立たないと、やる気もくじけてしまいます。そこで、分かれ道が「2通り」とか「どんなに多くても4通り」というように、見通しが立っていれば、あとは「全体像を知りたい」という知的好奇心によって、自然と楽しさも増していきます。これは精神的な粘り強さとは別にある「目の付け所」というスキルです。細部に鉛筆を動かしながら、問題全体を広く見据えることは、たとえば今後、一冊の問題集を仕上げるにしても、ただ闇雲にぶつかりながら解くのと、「これは一種の地図作りをしているんだ」という、抽象的でもそうした興味を持ちながら解くのとでは、習熟度はおのずと違ってきます。A-1の問題とA-2の問題はどこがどう違っているのか。分岐点はどこか。それをよく認識することが肝要です。たとえば『迷路』はその種まきです。これからどんどん育ってほしいスキルだと思います。
 ところで、人に考えを伝える時、頭の中にも一種の思考の『迷路』ができあがります。これはある1年生の女の子でしたが、鉛筆を動かしながら、私の耳元で述べてくれた自信に満ちた声が、今でも印象深く残っています。「私は最初こっちに行ったけど、駄目やったから、また戻って、こっちへ行ったの。でもやっぱり行き止まりやったから、また戻って、今度こっちに行ったら、行けたの!」と。おそらくその場で聞いていなければ、その生徒が何を言っているのか判然としないでしょう。けれどもそれはとてもリアリティがある出来事なのです。問題がフィニッシュできたことを何とか伝えようとする時の目は新鮮に輝いています。それをこちらも見ていること、そしてそばにいて一緒に喜んであげられることを、「かず」の時間では一番大事にしたいと思っています。
 一方、『間違いさがし』では、答が「どこか」を見つけるだけでなくて、「どう違うか」という理由も聞いています。「こっちの方が1個多い」とか、「こっちはあるのに、こっちはない」とか、「こっちは出っ張ってるけど、こっちはへこんでる」など、言い方は様々ですが、何を違いとみなしたかを説明できることをクリア条件にしています。
 そのように、『迷路』にせよ『間違いさがし』にせよ、「分かった!」を表現してくれたことに対し、「すごいなあ」と言って見ていることが、これからの学習意欲を支えるだろうと考えています。そして、やり取りをする中で、技術的な勝ち癖と、精神的な粘り強さとを、どちらも応援していこうと思っています。
 最近では、少しずつ理屈の要素を増やし、足し算を使ったパズルや、ナンプレ(数字を決まったルールで置くパズル)などをしています。

 さて、高学年である4~6年生では、そうした土壌の上に、『論理パズル』というものを導入しました。これは「もし」という仮定をおいて、矛盾があればその可能性を棄却し、矛盾がなければ答として採用する、という証明問題です。山の学校のブログで実際に生徒たちの解答を見ていただけると一番なのですが、生徒たちには単に答を言い当てるだけでなく、白紙の作文用紙に論述することに挑戦してもらっています。この「白紙」ということが重要です。『思考の迷路』の中でも一番負荷がかかるものと言えるでしょう。それがクリアできれば、もう何も怖いものはありません。
 小学校の算数は、文章題ができれば得意になれるとよく言われますが、この『論理パズル』は、私が知るところでは、その究極です。ぜひ「考えることそれ自体」を好きになって、数学へとつなげてほしいと考えています。