浅野です。
序章の5節を読みました。
この節では鉄のたとえが理解を助けてくれました。経験そのものが鉄鉱石に、知の対象(目的)が鉄製品に、生のデータが金属の鉄にそれぞれたとえられます。著者の立場は、経験そのもの(鉄鉱石)が人間の認識に先立ち存在しているという点で観念論ではなく実在論的ですが、生のデータ(金属の鉄)を物体(鉄鉱石や鉄製品)と区別する点で実在論よりも観念論的に見えます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
浅野です。
序章の5節を読みました。
この節では鉄のたとえが理解を助けてくれました。経験そのものが鉄鉱石に、知の対象(目的)が鉄製品に、生のデータが金属の鉄にそれぞれたとえられます。著者の立場は、経験そのもの(鉄鉱石)が人間の認識に先立ち存在しているという点で観念論ではなく実在論的ですが、生のデータ(金属の鉄)を物体(鉄鉱石や鉄製品)と区別する点で実在論よりも観念論的に見えます。