浅野です。
今は序章を読んでいるので、哲学史におけるデューイの位置づけがわかります。
カント的な合理主義・理想主義に対して、デューイは知を道具的に捉えます。言い換えると、知が神のように独立して至高なものとして存在するのではなく、観察→思考→実験といった一連のプロセスの中に浮かび上がってくるものであり、その経験的な状況と密接に結びついているということです。
Lotzeとの関係はひときわ微妙です。カント的な合理主義・理想主義から抜けだそうとする点では共通しつつも、それでもLotzeはまだ合理主義・理想主義に過ぎるということでしょうか。