高木です。
クラスがはじまる前のことです。
K君が両手で何かを隠しています。「これ、何でしょう?」ときいてきたので、「なにかな…、虫? 石?」と答えると、「ちがう」とK君は言います。「せいかいは、サイコロ!」
掌から出てきたのは、たくさんの、大小さまざまな四面体のサイコロでした。「家でいっぱい作ってきたの! これみんな、ぼくが作ったんやで!」
私が褒めると、K君はそれを大事そうに袋に入れます。「このふくろに、いっぱいためていく」とK君は言います。
Jちゃんは二桁の数の三項の足し算(”78+64+45”など)に、Yu君は「三桁−二桁」の筆算に、それぞれ苦戦しながらも粘り強くとりくんでくれていました。
ドリルの後、今日は、八面体のサイコロを作りました。少し難しいので、先週の四面体でもかまわないとしました。
Yu君は、先週つくりかけだった四面体を、今日完成させて、とても嬉しそうにしていました。それは彼の記念碑です。残りの時間で八面体の作図をしてくれました。長さの正確な、美しい線です。
Yo君は八面体と四面体の両方をつくり、さらにすすんで、台形の六面体を作ってくれます。「電車みたいやな」と言うと、「ぼくサイコロで街つくる!」とYo君は言います。
またK君は、「じぶんで考えて六面体をつくってみる」と言います。配っていたのは三角形の方眼紙なので、K君の言う「六面体」というのは、いわゆる普通の立方体のことではありません。K君はいろいろ考えて、四面体と四面体を合わせることを思いつきました。立方体ではない、面が三角形の、クリスタルのような変形六面体です。これには驚き、うれしく思いました。
クラスが終わった後、校舎の前でみんなで並んで、帰る準備をしていると、K君は新しくサイコロが加わった「ふくろ」について、「これ、ぼくの大事なもの」と言います。すると隣りにいたYo君は「ぼくは、ふでばこが大事」と言います。「だって中にサイコロ入ってるもん。」
サイコロが、鉛筆と同様に、彼の思考の源となることを願っています。
いつも心温まるエピソードをありがとうございます。子どもたちは手を動かして「つくる」ことが大好きですね。4月の最初からではなく、クラスの絆が深まった今だからこそ、このような展開が自由自在にできるのだと思います。最初に徹底して「復習」をされたことで、クラスのリズムができたように思います。
>「ぼくサイコロで街つくる!」
サイコロの街、ユニークな発想ですね。もしかして、サイコロがその街の住人でしょうか(あるいは建物)? いずれにしても何かそこには精神的な、新しい世界の広がりを感じます。
ふでばこの中身にせよ、この頃の「自分」には、拡張身体ともいえる「大きくなった自分」の感覚がありますね。(Yo君の世界に、「サイコロがなかまにくわわった」のですね)。
山の学校のカウンターに、八面体の形をした(四面体よりバージョンアップした)大事な「忘れ物」があります(笑)。あれは誰のでしょう?
山下先生、亮馬先生、いつも温かいコメントをありがとうございます。
>山の学校のカウンターに、八面体の形をした(四面体よりバージョンアップした)大事な「忘れ物」があります(笑)。あれは誰のでしょう?
実際に確認してみないと分かりませんが、もしかするとJちゃんのものかもしれません(笑)
あるいは来週続きをするために、置いていかれたのかもしれませんね。
>サイコロの街、ユニークな発想ですね。もしかして、サイコロがその街の住人でしょうか(あるいは建物)?
彼がこれからどのように街を発展させていくのか、私も楽しみです。
山下先生のおっしゃるとおり、彼らの素晴しいところは、出来合いの物で遊ぶだけではなく(もちろんそれも創造的な営みですが)、そうした物そのものを「つくる」ところにあると思います。