岸本です。
今回は前回の予告どおり、パズルを少し減らして、プリントやドリルの時間をしっかり確保しました。
ただ、逆に時間が余ってしまう子もいて、なかなか調整が難しいです。
どちらも良くできていましたが、早めに終わった子の答えを見てしまった子が、「答えがわかるとつまらない」と言っていました。
その気持ちがわかるのはとても良いことだと思います。
また私のほうでも、次回以降問題を個々人で違うものにするなどの配慮をしようと思います。
プリントは、10をかけること、100をかけることについてでした。
前回やってみた「大きな数のわり算」では、うまく教えられなかったので、もっと基本に戻って、まずはかけ算をやりました。
これについては、4年生の子だけでなく3年生の子もばっちりできていました。
ただ、何故100倍すると0が2つ増えるのか、といった発問には、「そういうものだから」とそっけなく返されてしまいました。
別にそう覚えるのは悪くないのですが、わり算への応用としては、「100=10×10だから」ということを理解してもらいたかったです。
これは次回以降のプリントで、またやってみようと思います。
また「大きな数のかけ算」では、こちらの不手際で子どもたちや保護者の方に不快な思いをさせたかもしれません。
この場を借りることに関して非難もあるとは思いますが、まずは深くお詫びします。
今後の反省として、方法の改善や子どもたちとのコミュニケーションなどを図っていきたいと思います。
次回は今年最後のクラスです。
子どもたちから要望もあったので、「サイコロ」作りなども行おうと考えています。
(まだ決定ではないですが・・・)
学校の範囲とずれたことがあっても、先生の裁量でやっていただいてよいと思います。私もよくそういうことをしました。子どもは背伸びをしたがる心理をもつ一方で、人前で「できない」事実をつきつけられることを嫌う、この二つを上手に満たしながら進めることがポイントです。つまり、先生が上手にフォローしながら(わからないというオチに至らないように配慮しながら)、最終的に本人がゴールインできるように導き、なおかつその手柄は全部自分のもの、と子どもたちが錯覚するように、先生の配慮はさりげなく行う、というプロセスを必要とします。私はよく思うのですが、授業は一つのパフォーマンスであり、先生は台本を書き、演出をし、ときには舞台にも出ますが、主役は子どもたちに譲るという(笑)、そういう奥の深い芸を必要としますね。
多面体は、それを作ること自体も楽しいですし、またその後の展開もいろいろ期待できて面白そうですね。つい転がしたくなるので…。
私の子ども時代を思い出すと、後にも先にも自分で作ったサイコロの思い出は、一個だけでしたが、それでも何かワクワクして手に持っていたことを覚えています。たぶん四年生だったと思います。学校から持って帰ってきたのかどうかは覚えていませんが、各面に×10とか×100とか書いていました。そしてつぶれるまで、おみくじみたいに「やった、今日は×1000だ!」とか転がしていました(笑)。(いったい何にかける倍率なのかは謎でしたが…)
そうした思い出は、一個でも十分意味があるのかなと今になって思い出します。(あの時の自分は、よくあれだけ不器用だったのに満足していたなあ、とか(笑))