浅野です。
物語もいよいよ終わりに近づき、この本の前の場面に言及されることも多くなりました。
It occurs to me that elsewhere in attempting to gather such recollections, I may well have asserted that this memory derived from the minutes immediately after Miss Kenton’s receiving news of her aunt’s death; that is to say, the occasion when, having left her to be alone with her grief, I realized out in the corridor that I had not offered her my condolences.
ケントンさんの部屋の前で立ち尽くした思い出のことを言っているのですが、elsewhereを「この本のどこか別の箇所で」というように解釈すると意味の通りがよくなります。
(この本の)どこか別の箇所でそうした思い出を呼び起こそうとした際に、この記憶はケントンさんがおばの死の知らせを受け取った直後に由来していると言ったのも無理のないことだと思われます。それというのは、彼女を悲しみにそっとしておいたためにお悔やみを申し上げていないと廊下で気づいた場面のことです。
そうではなく実はカーディナルの息子が不意に訪れた日のことだったということで、その日の回想に進みます。そこでもカーディナルの息子が、この本でも描かれていた国際会議でアメリカ人がダーリントン卿をアマチュアだと批判した場面を引き合いに出します。
本当に残りわずかになってきました。