浅野です。
祝日のために2回分休みになってしまい久しぶりのクラスでしたが、みんな元気にやって来て、スムーズにパズルに入ることができました。
今回のテーマは論理パズルです。どのようなものかを説明するよりも実際に例を見てもらったほうが早いです。以下の問題を出題しました。
リョウマ、マサミチ、コウタ、ナオキの4人はこの連休中にそれぞれ別の場所へ出かけました。行き先は京都市動物園、海遊館(大阪府)、淡路島(兵庫県)、京都府立図書館の4ヵ所です。それぞれの発言から4人の行き先を当ててください。
リョウマ:「ナオキは動物が好きだから動物園か海遊館に行ったんじゃないかな。」
マサミチ: 「リョウマが自転車に乗っているのを見たよ。ということは京都にいたんだね。」
コウタ :「その日は天気がよかったからずっと屋外にいたよ。(動物園と淡路島が屋外)」
ナオキ :「僕は乗り物が苦手だから,京都から出て他の府県には行っていないんだ。」
内容からお気づきかもしれませんが、この問題は自分で作りました。もちろんフィクションですが。難しすぎず簡単すぎず、答えが一つに定まるように作ることには思っていたよりも苦労しました。多少の早い遅いの差はあっても、全員が真剣に考えながら正解に至ったので苦労したかいもあります。
しかし単に答えを出すだけではおもしろくありません。理詰めで解くところに論理パズルのおもしろさがあるのですから、その推論過程を書いてもらいました。不思議なことに、すぐに答えを出せた人ほどその理由を書くことに苦労して、逆に時間がかかった人は難なく理由を書ける傾向にありました。
残り時間にはドリルをしてもらいました。こちらも進め方は人それぞれで、S.T君(名字・名前の順にイニシャルにしました。以下も同じです。)は早くも一冊を終わらせてしまった一方で、S.Y君はとても丁寧な文字でかつ完璧に仕上げてくれていました。あまりに極端になりすぎない限りは、速度を重視しようが、丁寧さを重視しようが構いません。自分のペースで進めてください。
推理クイズを自作されてのですね。さすが、浅野先生らしいです。
>しかし単に答えを出すだけではおもしろくありません。理詰めで解くところに論理パズルのおもしろさがあるのですから、その推論過程を書いてもらいました。不思議なことに、すぐに答えを出せた人ほどその理由を書くことに苦労して、逆に時間がかかった人は難なく理由を書ける傾向にありました。
ここは重要なポイントだと思いました。推論過程を書くことで問われる「何か」、養われる「何か」がある、とみてよいでしょう。答えの「出来た、出来ていない」がすべてではない、ということですね。
自作の問題は良くできていましたね。
今回の問題で、私が感じたのは、子どもたちの「論理力」です。
おそらく解いていた子どもたち自身は、まだ「論理的に」表現しようという意図はなかったでしょう。
しかし、書いてもらった「考え方」には、「~だから・・・」といった論理的な表現が用いられているのです。
また、一見論理的でないような答えも、彼らなりの「論理」がありました。
今回私たちは、そうした彼らなりの論理の表現を尊重しながら、より洗練されたものにするお手伝いができたのではないでしょうか。
最後に、ドリルの採点をなさってくれた保護者の方には講師から、お礼申し上げます。
(多分)図書館にいた、リョウマです^^
この記録を読んで、2年生の段階で、論理パズルに触れることができるというのは、私にとっても新しい発見です。それにしても、このクラスの2年生はすごいなあ、とつくづく感心します。彼らなら、きっと理詰めで解く楽しみを本物にしていってくれるものだろうと想像します。
そういえば、その2年生のTa君から、以下の自作推理クイズを出されて、大いにうなりました。この場を借りてご紹介します。(実は問題文を読むとすぐに分かってしまうのですが、これを口頭で言われた時は、全く分かりませんでした^^)
問題(出題者:Ta君)
『ゴンタ』、とゆう子がラーメン屋に行き、1杯400円のラーメンを食べました。
そして1000円払ったところ、200円のおつりが返ってきました。それはなぜでしょう?
ゴンタは2杯食べましたか?──いいえ。
1杯だけでしたか? ──はい。
前の日のツケが残っていましたか? ──いいえ。
ゴンタはお父さんかお母さんに連れて行ってもらったのですか? ──いいえ。
じゃあ、ゴンタは一人でしたか? ──いいえ。
ゴンタは子どもですか? ──はい。
ゴンタのほかに誰か一緒にいましたか? ──はい。
それは、ゴンタの友達ですか? ──はい。でも、それはなんという名前でしょう?
え? 名前も? ──はい、ちゃんと分かります。
このようなTa君をはじめ、実にそうそうたるメンバーが集まっていると感じます。
>推論過程を書くことで問われる「何か」、養われる「何か」がある、とみてよいでしょう。答えの「出来た、出来ていない」がすべてではない、ということですね。
はい。そういう意図を持っていました。そして岸本先生のご指摘のように、書いてくれた推論過程について質問すると彼らなりの「論理」があるということがわかりました。頭の中で考える、問題を解く、口に出して説明する、書いて説明するという4つの水準が重なっているようで違うところもあるのがおもしろいです。口頭であるいは筆記で説明するやり方には個性が出ますね。
>その2年生のTa君から、以下の自作推理クイズを出されて
これは非常にいい出来ですね。何も見ずに考え出したとしたら脱帽です。このクラスのメンバーは本当に力があり、難しい問題を解くだけでなく簡単な問題もおろそかにしません。それは一年間「かず」のクラスの取り組みを続けたたまものでしょう。