ことば1~2年B(12/3)(その2)

福西です。

授業の後半は、絵本を読みました。今回は、『黄泉のくに』(谷真介/文、赤坂三好/絵、ポプラ社)という本です。

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クラスが始まる前に、ちょうど生徒たちがゾンビの話をしていたので、それにイメージをかぶせました。そして、「今日のは、こわいぞお~」と、おどかしながら読み始めました。

イザナミの変わり果てた姿もさることながら、今まで大切に思っていた人が、180度変わって、自分に襲いかかってくるというシチュエーションは、言われてみると確かに、ゾンビ映画にも似てる所があるなあと思いました。(もちろん、違う所も多いのですが)。

人間、何が怖いかというと、その「180度の豹変ぶり」なんでしょうね。

かなり、怖がって聞いていました。(笑)

何と言っても、一番怖かったのは、その「姿」を見てしまった時のようでした。

もし家族の誰かがこんなふうになってしまったら…。(そう思ったのか、T君は絵本の前で、文字通り目を覆っていました。それが印象的でした)

「見てはいけない」と言われているのに、妻を探しにどんどん奥へと進んで行ってしまうイザナギの行動に、「ああ~」「だめや! それをやってしまったら…!」と、一同から嘆息が洩れていました。

 

妻であるイザナミは、最初、「なぜもっとはやくきてくださらなかったのですか」と、迎えに来た夫をなじります。あの世のものを食べてしまっては、もう帰ることはできないからです。(イザナミが飢えるあいだ、イザナギは何をしていたかというと、火の神への復讐にやっきになっていたわけです)。

そして、イザナミは、「死のくにの神がみに相談してみましょう。そのあいだ、ここでおまちを。けっして わたしのすがたをみてはなりません」と言い渡します。ですが、イザナギは待ちきれずに(今度はその行動が「早すぎた」わけですが)、その約束までも破ってしまいます。

約束を破られたことと、見てほしくなかった「変化」を見られたことが、ともに情けなく、イザナミはこの時、「恥」を覚えます。さらに、相手が「逃げた」という心変わりの行為を見て、大声で、女の鬼たちや雷神たちに追捕を命じます。

しかも、千引きの石であの世とこの世の出入り口をふさがれた後には、石壁の向こうから、「あなたのくにのひとたちを、一日千人ずつ、ころして」しまうという呪詛を吐きます。(ここまで、恨みつらみの三段重ねです。)

それに対し、「わたしは、一日 千五百人ずつ、こどもをうませ」ようとイザナギが返答し、その問答が、人間の生死の縁起物語となっています。

ただ、私自身の思い出では、小学生の頃に、古事記のこの下りをはじめて読んだ時、イザナギの心変わりにむしろ、「もともとイザナギの方がひどいんやんか」と、かなり憤っていたのを覚えています。(けれども、今ではイザナギの気持ちも分かります)

「もし、自分やったらどうする?」(それでもイザナミのことが好きでいられる?)と生徒たちに問うと、一同、首を横に振っていました。(「逃げる!」が三人、「やっつける!」が一人でした)。はっと息をのんで必死に逃げるイザナギの方に、どうやら、クラスでは、共感が集まったようです。

 

あとの追いかけられる展開も、スリルがありました。(後の、昔話(三枚のお札など)の「パターン」となる部分です)。

イザナギが、髪の毛を結んでいたかづらを投げると、ぶどうの実が生ります。次に櫛を投げると、筍が生えてきます。そうして鬼達がそれを食べている間、逃げる時間を稼ぎます。

それでも追いつかれ、あの世の軍勢に取り巻かれた時、イザナギは観念して剣を抜き、応戦します。しかし多勢に無勢、どうしようもなくなります。

と、その時でした。イザナギは、あの世の入口付近に一本の木が生えているのを目にします。それは、桃の木で、イザナギがとっさにその実を三つ取って投げると、その実は邪気を払う力を持っていて、たちまち鬼たちを退散させたのでした。

Rh君が「まるで桃が、桃太郎になって、鬼をやっつけていくみたいやなあ」と言っていました。その通りですね。

最後は、イザナミ自身が追いかけてきます。そこで、イザナギは大岩を置いて、あの世とこの世の出入り口をふさぎます。この時、T君が、「間一髪やったってことか」と、その時の状況を言い表していました。

こうしてイザナギは、地上に帰ることができたのでした。

 

その時にイザナギの吐露した言葉があります。

「わたしは、どうして あのような 死んだものたちがすむ おそろしい きみのわるいくにへ いったのだろう。」

と。もしこのようなことを、時を変え、所を変え、誰かがまた同じように言い、もし今の心にも通じるものがあるとするならば、何とも不思議なことだと言わざるを得ないでしょう。

 

ちなみに絵本では書かれていなかったので、イザナギがみそぎをした時、その両目からはアマテラス(太陽の神様)とツクヨミ(月の神様)が、鼻を洗った時にスサノオ(台風の神様)が生まれたことを補足しました。Rh君が、「耳はないの?」と聞いていたので、「あ、本当やな」と思いました。

スサノオと聞いて、生徒たちは、以前ヤマタノオロチの話をしたことを思い出してくれました。

そこで時間となりました。アマテラスが天の岩戸にひきこもった時の話は、またいずれ。