山の学校ゼミ(数学)

福西です。備忘録です。

数学にはさまざまな概念があります。数学で得た物の見方は、あたかも詩が日常を潤してくれるように、時に、生活で出会う現象についても合点を与えてくれることがあります。

たとえば2次関数が、1次関数とは違って「1回だけ曲がっている」ということは、最大値(最小値)問題において解かれたその答は「最適でしかも唯一である」ということです。これはそれ以外のところでは同様に最適ではない、つまり、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」ということです。

私たちは今起こっている出来事を右肩上がりに捉えて後日痛い目に遭うことしばしばですが、これは1次関数的に「真っ直ぐ」で認識しているからに他なりません。

そうした漠然とした靄を頭から追い払う時に、「ああ、これは2次関数なんだ」とか、あの凸の形を思い浮かべることができれば、また、「ああ、これは1次関数的だな」と符合すれば、その認識の度合いはくっきりとすることでしょう。もちろんそのためにあるというわけではありませんが、数学で蓄積された概念は、あたかも他言語でした理解のような新鮮な「なるほど値」をもたらしてくれます。

また、解析学で言うところの「無限小」という概念は、とても強力なツールです。

無限に細かくして無限に足し合わせたものが一定の値をとる(ように主張できる)時、それを定積分と呼んで実際に計算することができます。

これはアルキメデスの「取り尽くし法」を見ていた時のことですが、その古代の方法に「おお」となると同時に、近・現代に整備された微積分法の観点から見ても答が一致するところにまた「おお」となるならば(心情的に納得したならば)、あとはより簡便な方法である後者を選択できます。

蛇足になりますが、その微積分学を勉強する時に、その理解を大掴みに得る上では、線形代数(で得た概念)がとても有用です。線形代数は、行列やベクトルなどの有限次元の数を対象としますが、そこで得た概念が実は有限次元にとどまらず、無限次元まで拡張されます。たとえば「線形微分方程式」の「線形性」であるとか、ベクトルの内積による「直交性」が、積分によって表される関数(いわば無限次元のベクトル)の「直交性」として蘇ってくるとか…などなど。「あれがこれなのか」という納得を後から追加していくことができ、まだまだ「お楽しみ」は広がっています。