1923年の会議もクライマックスを迎えました。
デュポン氏から状況の改善に向けて努力するとの発言が得られたので、ダーリントン卿の目的は達成されました。しかしアメリカ代表のルイス氏がヨーロッパ的なやり方を批判しました。
But it is out of respect for your views, Mr Lewis, that I feel one should not simply cast them to one side as though they were uttered by some soapbox eccentric.
しかしルイスさん、あなたの見解への尊重から、その見解が何らかの風変わりな三文演説家によって発せられたかのように端へ押しやるべきではないと感じます。
out of respectの部分の解釈に苦労しました。最初は「尊重の外」ということで尊重しないという意味かと思ったのですが、辞書を引くと「尊重して」という意味だと気づきました。out ofがHe came out of the water.(彼は水から出てきた)の例文で使われるような「〜から」という意味だったのです。それで直訳すると上のようになります。
そしてダーリントン卿はルイス氏の見解に少し反論して、それが多数の人の拍手で迎えられます。
そうこうしているうちに主人公の父の具合が極めて悪いという知らせがありました。主人公は少しだけ様子を見てすぐに仕事に戻ります。晩餐が終わって紳士たちは喫煙室に向かっていました。
しばらくして父親が亡くなったという知らせがケントンさんからもたらされます。それでも主人公は仕事を続けます。それが父の意にもかなうという理由からです。カーディナル氏の息子と話したり、機転を利かせてデュポン氏の足の処置を手配したりです。だからこそこの会議の日が主人公の職業経歴にとって転換点だと言えるのです。
ここから2日目の午後です。偉大な執事とは何かという問いについて、誰に仕えるかが前提条件になるということを旅のおかげで初めて思いついたとのことです。
次回は久しぶりに旅の描写に戻ります。