家庭学習Q&A

ある方から、小学生の「ことば」の勉強方法について、ご質問を受けました。私は以下のように考えています。お返事の一部を紹介します。

一般の塾に行くと、目先の点数の上下に一喜一憂しがちですが、「問題の解き方」を覚えてしまうと、「問題の考え方」を身につけることはできません。あるいは、めんどうに感じます。それだと、学年があがるにつれて、ご本人の学びの炎が弱まっていきます。大学に入ると同時に火が消えた、というのでは、笑うに笑えません。

私は、今の仕事に移る前は、京大と京都工芸繊維大学で12年間学生の指導をしましたが、今から10年近く前でも、「考えない」学生を相手に授業をする苦痛をいやというほど味わいました。

山の学校の先生たちは、学生や院生が中心ですが、物事を徹底的に考える本物の学生ばかりです。それゆえ、小学生の子どもたちの心の学びの炎をいっそう輝かせる力を持ち得ます。

国語の学びについては、教科書の書き写しをされているのですね。すばらしいです。書き写しは大事な基礎の力を養います。ご家族でしっかりとお子様の学びを支援されているご様子が、何よりのことと存じます。お子さんが大人になったとき、貴重な思い出に結晶することでしょう。

今は、国語が苦手というお子さんが多いようです。答えをせっかちに導こうとするとそうなります。「答えらしいもの」は、訓練ですぐに言えるようになりますが、勉強を長い目で見ると、それでは意味を持ちません。答えは人間の数だけある、という前提で問題につきあわないと、国語の勉強はうまくいきません。何より、ご本人が勉強に嫌気をさすでしょう。

一般の塾の「国語」の勉強は、すぐに答え合わせをします。これは、勉強が嫌いになる近道です。また、自信を失って当然です。先生の答えと同じ答えを出せるなら、塾に行く必要はなく、また、先生の答えと自分の答えを一致させることが国語の勉強の正しい道ではありません。

重要なことは、自分なりに筋道を立てて、責任の持てる答えを表現できるか?です。

即効性のあるやり方は、かえって、揮発性のある(つまり定着しない)学びでしかなく、一見遠回りに見えて、その実、根本の力を鍛え、磨くやり方こそ、求めねばなりません。

以上です。

もちろん、これは「正解」ではありません。言わずもがなですね。ただ言えることは、私は精一杯書きました、ということです。それ以上、私たちに何ができるでしょう?大人がそうであれば、子どもも同じですね。

文章を書くときに大事なことは、精一杯考えて、誠実に書くことだと私は思っています。同様に、文章を読むときも、同じ事が言えます。文章に傍線が引いてあり、その意味をあれこれ考えることより、その人の書いた文章の「全部」を虚心坦懐に読むことが誠実な読書の基本です。

問題集や教科書に閉じ込められた文章は、「切れ端」の文章ばかりです。じっくりと最初から最後まで、つまり、起承転結のドラマのすべてにつきあう覚悟が必要です。

山の学校では、とくに中学、高校では、それをするのです。そして、読んだ結果、自分の心に生じた「反応」を正直にすくい取り、文章化します。簡単ではありません。何度も書き直し、自分で心のピントを合わせます。推敲というやつです。書いた文章をもとに先生と、また、他の生徒と意見交換します。論語の冒頭ではありませんが、「楽しからずや」です。

以上思うところを述べました。人によって考え方は様々でしょう。だから、正解がほしくなります。しかし、正解はないのです。だから、自分で考える「自由」があり、そこに「喜び」があります。「正解」を鵜呑みにすると、「喜び」を放棄することになります。

すべて、自分で体験し、自分で体得するほかないと思います。そうして信念が育ちます。信念は自分で育てるもの、です。ことばの学びはこのことが顕著に表れます。