福西です。前エントリーの続きです。
最後の時間に、紙芝居の『青の洞門(禅海)』(堀尾青史・脚本、小谷野半二・画、童心社)を読みました。
読む前に、「これ何ていうの?」とRちゃんが「洞」を指差しました。つぎに「これ知ってる。あ、ここにも」と青の洞門の「青」と、堀尾青史の「青」を指差しました。
するとM君も負けじと、「ぼく、これ知ってる!」と「海」と「本」と「小」と「二」を。そうやって、表紙カバーで、漢字の見つけっこが始まりました。
M君:「『二』はかんたんだ!」
Rちゃん:「『本』は私の名前の漢字」
M君:「『画』は、お絵かきで出てくる」
Rちゃん:「史という字も知ってる。だって、私、レキシの本が好きだから、ちょくちょく、本にこの漢字が出て来るの」
そういった生徒たちの言葉の一つ一つもまた、どこかにしまっておければと、ふと思いました。
紙芝居の内容は、江戸時代の大分の逸話をもとに、菊池寛が創作した『恩讐の彼方に』が下敷きになったお話です。
人を殺めて仏門に入った禅海という僧と、彼によって父親を殺された若い侍との対比・相克が描かれています。(ただし、禅海が人を殺して仏門に入ったという下りは、菊池寛による創作です)
禅海は、行脚の途中、険しい崖の山道に行き会います。そこで、毎年のように落下による死者が出ると知り、彼は、その崖を通らなくてもいいように、近くの岩山をくりぬいて、トンネルを作ろうと志します。
一方、赤ん坊の頃に父親を殺された、実之助という若い侍がいました。彼は、父親の仇を求めて方々を旅し、大分までやってきます。そして、その仇が禅海がであることを突き止めます。
実之助は、禅海がかれこれ二十年近くも岩場を掘り続け、ようやく間もなく向こう側へと穴が開くということを知ると、「かたき討ちはその時まで待ってやろう」と禅海に言い渡します。
そして、いつしか待つだけでなく、禅海のことを手伝うようになります。「早く穴が開けば、それだけかたき討ちも早くできようもの」と言いながら。
さらに年月が流れました。
いつものように岩と対峙していた、ある時のこと。岩間から、月の光が差し込んできて、二人はとうとう向こう側を掘り当てたことを知ります。
そうして、禅海の念願はかないました。
さて、実之助の念願はどうなったのでしょうか…?
私がこの物語を選んだのは、以前、『しょうとのおにたいじ』という昔話を読んでいた時の、Rちゃんの一言がきっかけでした。「鬼は赦してもらえなかったの?」と。それで思い出されたのが、この『青の洞門』でした。
岩場の掘削の間、実之助には、それまでの復讐の旅の道中での苦悩がまざまざと蘇ってきたことでしょう。そしてようやく念願がかなうという今、しかしそれを果たし終えた後の、決して満たされないであろう穴が、心のどこかに開くことも、知っていたのではないかと推察します。
作品では、そうした心の中に塞がった岩との暗闘という、二重の意味があったのだろうと私は思います。
実之助の相克が、いつの間にか禅海の光明を求める気持ちと同一方向だったということ。それは、二人の手の先にこれまでにないほど青く感じられる月の光が見えてきて、
「よう ございましたな」
という実之助の言葉の中に、表されているように感じます。
その彼の言葉がまた禅海の心をも救い、そのことによって自身の心もまた救われたのではないかと私は思います。みなさまはいかがでしょうか。
そのような、『しょうとのおにたいじ』とはまた別の、「かたき討ち」のお話をこの日は紹介しました。