「山びこ通信(2014年春学期号)」より、クラス便りを転載致します。
『イタリア語講読』 担当:柱本元彦
前回に引きつづき3名でダンテの『新生』を読んでいます。イタリアのものでも邦訳があれば邦訳で済ませてしまうことが多いのですが、ダンテなどは、『神曲』はもちろんですが、『新生』もやはり原文で読まなければ面白くないのだなあと痛感しています。つまり恥ずかしながら今まで原文は読まずに邦訳だけ見て、なんだかんだ言ってもそれほど面白い作品ではないと(「歌物語という形式が好きだ」などと自分では言うくせに)思っていたのです。1回に1〜2ページほどのペースですが、進む速度は遅くても満足度は大きい。いや今回一番満足しているのはわたし自身でありまして、ダンテの文章がいかにしばしばラテン語的であるか、古典語の広川先生から毎回のように指摘があり、なるほどそうであったかと、まさに目から鱗が落ちる思いの連続です。なかにはダンテ自身の語学的過ちすらありました。いやおそらくラテン語風に修正しようとした校訂者の不注意でしょう。周知のようにダンテ自身の原稿は『神曲』であれ『新生』であれ現存していません。『新生』ではバルビの校訂した版が定番となり伝統的に用いられてきました。けれどイタリアでは近年この状況も変わりつつあります。こうした変化の立役者だったゴルニやカッラーイも参照しながら(まさに広川先生なしには考えられません)、この注釈ではこう書いてある、あちらの注釈ではこう、また別の人は云々と・・・ああこれが妥当でしょうね、とはならない場合もあります。詩の韻律形式に立ち止まるときもあります。こんな風にひとつのテクストを前にいろいろと話し合いながらの読書・・・まるで学生時代の読書会ですが、考えてみれば贅沢な時間ですね。