今回は1日目の旅の振り返りから偉大な執事とは何かという思索がなされる場面でした。
この日の朝に見た景色は素晴らしかったと回顧されます。
the English landscape at its finest – such as I saw it this morning – possesses a quality that the landscapes of other nations, however more superficially dramatic, inevitably fail to possess.
今朝私が見たような最良の英国の景色は、他の国の景色がより表面的な部分ではどれほど劇的であろうとも、必然的に備えることはない特質を備えているのである。
その素晴らしさは偉大さによるもので、ここからGreat Britainということもからめて、偉大な執事とは何かという問いに入ります。
偉大な執事とは誰かという問いではなく、偉大な執事とは何かという問いだということが重要です。誰かということに関してはおよそ意見が一致しているが、何かということがはっきりしないということです。
強いて基準を挙げるとすれば、ヘイズ協会が公表した「尊厳(dignity)」です。しかしそう言ってもそれでは尊厳とは何かと問わなければなりません。その尊厳が主人公の父にあったというのです。言葉の訛りや知識が不足していたとしても、それとは異なる本質的な尊厳です。
その父が理想としていたのは、インドの執事がふいに食卓の下にいたトラを退治した後の通常と変わらぬような態度です。
今回はこのあたりで時間になりました。